善光寺平(長野盆地)は、例年になく雪の無い正月を迎えました。風景は、まるで晩秋か早春のようです。とはいえ、気温は-4度。真っ白に霜が降りていました。松代の向こう、東条の山裾には霧がかかっていました。
この善光寺平は、北側の山は盆地に平行に山脈があり、南側は北に向かって何本もの山脈が突き出ているという地形をしています。そのことが、2011年3月の放射性プルームの流れと降下に大きく影響をしたと思われます。
放射性プルームは霧状になり、北側の山際を舐める様に犀川沿いに西へ向かいました。そのため、長野市北部や信濃町が汚染されました。一方、南側は、高社山初めいくつもの尾根が、その進行を遮ったと思われます。それ以前に、群馬県境にある四阿山が、ブロックしてくれたわけです。しかし、次に福一で、あるいは他の原発で、事故が起きた時に、また同じ様に流れるとは限りません。
*山名の入った妻女山や茶臼山からのパノラマ写真は、信州の低山1,2,3をご覧ください。
タイトルの「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」は、一休さん(一休宗純)の歌ですが、資料により、歌の言葉遣いが違うのです。
「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まりやもなし」が「正月は(元日や)冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と変化した。
「門松は冥途の旅の一里塚」は一休の狂歌「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」による。
一休蜷川道歌問答の章に「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まり屋もなし」あり。下の句の説明として以下の記述がある。
「風来山人(平賀源内)『根無草後編』では、下の句を「目出たくもあり目出たくもなし」とする。
一休の道歌-蜷川親当との道歌問答-に「門松は冥途の旅の一里塚、馬駕籠もなく泊りやもなし」というのが、のちに「正月は(元旦や)冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」といわれるようになった、とあり。
「いずれの時か夢のうちにあらざる、いずれの人か骸骨にあらざるべし。」という言葉の<解説>に、「元旦や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあり。
「門松は冥途の旅の一里塚」は諺とする。解説に、「『一休咄』等の咄本では、『門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』という歌の形で出ており、一休禅師の作と伝えるが、真偽は不明である。」とあり。(東京都立中央図書館レファレンス協同データベースより)
いずれにせよ、生きているということは、少しずつ死んでいるということ。一度しかない人生を、我欲のために汚している者が、いかに多いかということ。何百億円稼ごうが、あの世には一円も持って行けません。
今年は、所謂初詣はしませんでした。その代わりといってはなんですが、鎌倉時代の栄華と滅亡の証を残す塩田平の信濃北條氏の三重塔を訪れました。前山寺未完の塔と安楽寺八角の塔です。残雪の曇り空に佇む古刹は、無常を感じるには最適の佇まいでした。驕れる平家は久しからず。驕れる○○も久しくはないでありましょう。この初詣については、また後日。
■ツイッターMORIMORIKIDSを左のサイドバーに表示するようにしました。主に原発情報、地震情報を呟いています。自然、歴史も。
この善光寺平は、北側の山は盆地に平行に山脈があり、南側は北に向かって何本もの山脈が突き出ているという地形をしています。そのことが、2011年3月の放射性プルームの流れと降下に大きく影響をしたと思われます。
放射性プルームは霧状になり、北側の山際を舐める様に犀川沿いに西へ向かいました。そのため、長野市北部や信濃町が汚染されました。一方、南側は、高社山初めいくつもの尾根が、その進行を遮ったと思われます。それ以前に、群馬県境にある四阿山が、ブロックしてくれたわけです。しかし、次に福一で、あるいは他の原発で、事故が起きた時に、また同じ様に流れるとは限りません。
*山名の入った妻女山や茶臼山からのパノラマ写真は、信州の低山1,2,3をご覧ください。
タイトルの「正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」は、一休さん(一休宗純)の歌ですが、資料により、歌の言葉遣いが違うのです。
「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まりやもなし」が「正月は(元日や)冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」と変化した。
「門松は冥途の旅の一里塚」は一休の狂歌「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」による。
一休蜷川道歌問答の章に「門松は冥途の旅の一里塚馬駕籠もなく泊まり屋もなし」あり。下の句の説明として以下の記述がある。
「風来山人(平賀源内)『根無草後編』では、下の句を「目出たくもあり目出たくもなし」とする。
一休の道歌-蜷川親当との道歌問答-に「門松は冥途の旅の一里塚、馬駕籠もなく泊りやもなし」というのが、のちに「正月は(元旦や)冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」といわれるようになった、とあり。
「いずれの時か夢のうちにあらざる、いずれの人か骸骨にあらざるべし。」という言葉の<解説>に、「元旦や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」とあり。
「門松は冥途の旅の一里塚」は諺とする。解説に、「『一休咄』等の咄本では、『門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし』という歌の形で出ており、一休禅師の作と伝えるが、真偽は不明である。」とあり。(東京都立中央図書館レファレンス協同データベースより)
いずれにせよ、生きているということは、少しずつ死んでいるということ。一度しかない人生を、我欲のために汚している者が、いかに多いかということ。何百億円稼ごうが、あの世には一円も持って行けません。
今年は、所謂初詣はしませんでした。その代わりといってはなんですが、鎌倉時代の栄華と滅亡の証を残す塩田平の信濃北條氏の三重塔を訪れました。前山寺未完の塔と安楽寺八角の塔です。残雪の曇り空に佇む古刹は、無常を感じるには最適の佇まいでした。驕れる平家は久しからず。驕れる○○も久しくはないでありましょう。この初詣については、また後日。
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