とにかく今年の夏はイヤーナ夏だった、猛暑日も嫌だったがそれに輪をかけたのがムシムシ湿度であった。今のこの部屋の気温二十八℃、湿度七十五%である、いかに先ほどまで小雨が降ったとは言えもう夏も終わりに近づいた八月二十五日である、梅雨明けが早くすぐに猛暑日が続き辟易した毎日だった、時々台風や前線の影響で涼しい日があったが、それでも湿度は高かった。たまにアレ暑いけれど案外サッパリという日も在ったがほんの一-二回であった。
こんな夏は子ども大変だったろう、宿題を遣る涼しい時間などあったろうか、我々オジンが戦前の夏休みを振り返ってみると、家にあった朝日新聞社マークの入った(赤い線の)アルコール寒暖計を見て二十八℃を超えると「母ちゃんプールへ行っていい」などと二十八℃を越えると午前中でも泳ぎに行ってしまい、昼飯も忘れるぐらい良く泳いだ物だ。もう七十年も前の話だが。
群馬県佐波郡境町は、我々が小学校へ入学した時はもう学校プールが出来ていた、それより四年ほど前に皇太子(現今上天皇のこと)誕生記念に町で作ったものだが。伊勢崎町は町立のプールが北小学校の北にあったが町の物だった。この町は例幣使街道の宿場町であったが方数キロの小さな町だった、だが往還にには大店が多く近隣の在郷から繭の入荷も多く豊かだったのか、時の町長の正田寅四郎さんが教育熱心の方だったか、施設は整いよい環境で学校生活が送れたようだった。
又この頃は三十二-三℃位で暑い暑いと言っていた様な気がするが、宿題を貯めるのはいつに時代も同じで、半ベソをかきながら迫った九月一日の始業式に備えた物だ。今の子を想いながら想い出す懐かしい昔々である。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます