暑い厚いと言っているうちに今年のお盆は終わってしまった。我が家では五日に孫の良介がお墓掃除と家のかたずけに来て二泊で帰り、十三日には娘の理恵と孫娘の千明が線香上げに来て、これも大学受験の準備の為急いで十五日には帰ってしまった。孫達も何とも忙しい年頃になった物だ。
お盆送りを済ませた十七日、いわゆる盆がらか、新聞のお悔やみ欄に伊勢崎佐波広域市町村圏振興組合消防長の細井佐内さんの死亡通知が載っていた。この春の伊勢崎工業高校百周年のお祝いの時にお逢いしたが、何となく顔色が良くないな、と思ったがまさかそんなに具合が悪かったとわ、、、謹んでお悔やみ申し上げます。
細井さんとは伊勢崎市に奉職してからのお付き合いと思うが、「何となくノメッコイ人柄か、伊工の同窓のせいか話すようになり、特に昭和四十五‐六年の頃の広域消防組合の結成準備を企画調整課企画係として細野国光君と進めていたとき、いよいよ大詰めとなると二人では手が回らなくなり、消防署へ連絡すると細井さんが部下を連れて応援に来てくれた。だが部下の人たちは事務作業は苦手のようで、終いまで付き合ってくれたのは細井さんだけだった。
お蔭様で期日に間に合い市町村長会議で規約原案が承認され、組合議会の設立と各種条例規則の制定が承認議決され、ようやく広域消防が発足したのだった。
以来いろいろとお付き合い願ったが、伊勢崎市民病院課長時代に市長と商工会議所会頭の遣り取りのなか、伊勢崎商工会議所へ移ることとなり、昭和五〇年四月何代目かの専務理事に就任したのだった。
この後会議所の事務事業の見直しを行い、大変多くなっていた受託事業の受託を減らす事としてそれぞれの団体と交渉し切り離していった。そのなかの一つが伊勢崎法人会事務局であった、初代事務局長を当時の高橋助役にお願いして西田さんにお願いして頂いたが、途中体調を崩し退任したので当時退職していた細井さんにお願いしようと画策し承諾を得て承認していただいたのだった。
なれない仕事で大変だったと思ったがあの持ち前のバイタリテーで、以来十数年法人会事務局長を務めていただいた、兄貴のような存在の方だった。
退任後数年前に奥さんを亡くして淋しい生活だったのでは推察、感無量の想いです、謹んでお悔やみも仕上げますと共に長いお付き合いと御協力に感謝申し上げます。
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