天気は良くないがいつもの癖で早起きと言っても六時前だが、その内に雨が降り出すという事で一日籠りきりで過ごす、静養だ…この夏の腰椎圧迫骨折以来よくやる事だが。
三月に一度の群大病院通いの日だ、爺さんは普通に起きた婆さんは早起きしてオムスビ作りだ、食べて八時に出発ついて病院の駐車場に於いて受付機で七〇七番九時二十一分だった、
すぐに採血室へ此れは二百三十三番ここで採血が終わって乳腺分泌外科へ、ここで待つ事一時間四ー五十分漸く中沢先生の代理の徳田先生の問診を受け昼を回って放射線科へ、ここでは岡本先生に「腰椎圧迫骨折は以下ですか、腰の痛みは」など聞かれまだ右腸骨の上がな度と話す、次の時に検査をしましょうかなど話して退散会計に、大食堂でチャーシュウメンをたべて帰路に途中市民病院前のアイン薬局で薬を貰い帰宅、約一日がかり三時少し前の到着最近では最高の所要時間だった。
今日も良い日だ朝の冷え込みマアマアの文化の日「天皇誕生日オイどんより四歳お若い、昭和十二年に小学校に上がったころ母校境町尋常高等小学校に皇太子誕生記念プールと言うのが有って夏休みは真っ黒になって泳いだもの、敗戦など言う余分な事の中の皇室の在り方など大変気に欠けたようご苦労様でした」でした、年は取りたくねえもんだ十二月二十三日と間違うとは呆れたもの、全文消したいがいい見せしめに残して於こうと思う。 (十一月八日訂正)
昨日は病院でリハビリのし過ぎか夜中に足がけいれん風の痛さで目が覚めたり、ただし今日の日中は治って快適だったが家の中で大人しく過ごす。
午後のテレビはラグビー・サッカー・競馬・剣道などスポーツ中継が多かったが、久しぶりに十三歳で動員で工場で飛行機部品作りなどの中やった剣道が懐かしく日本選手権を見る、結局は東京と熊本の決勝戦となり熊本西村六段の優勝で終わった、工業「今の高等」学校進学の時やりたかった剣道も占領軍のGHQの指導で禁止され出来なかった、結局バレーボールやバスケットボール・野球など外来スポーツをやる事になってしまった、オイどんはバスケだった。
今日も良い日だ、ただし朝は昨日に続き冷え込む、さすが食堂室温十五度くらいエアコンを着ける、
今日は善衆会病院の診察日だ最近は自分で運転だ倅とルート違うので三十分そこそこで着く、受付機でカードを入れて番号札と診察表を取り整形の受付へ「まずレントゲンを撮ってください」これが第一の行動、終って待つ事暫く「時間があるからリハビリを済ませてください」との事、大きな部屋と言うか小さな体育館と言うかに患者と機械やベットなどと理学療法士で一杯だ、早速宮下担当が現れどうぞとベットへ、ここで「何時もしてますか」と言いながら体操かスカットと言うのか五つくらいやる、次いで痛い処をマッサージをして最後は腰が冷たいというのっで音湿布を十分ほどして終わり、またまた待合で待つ事暫く昼少し前に呼ばれて「痛みは如何ですか」「あの痛い盛りから見れば天国ですよ、ただ右腰の腸骨の上の筋肉が歩くとすぐに痛くなるので」と言うのでこの治療を続けましょう、同じ処方箋を五週分出す年末年始が近ずくので準備だろう、漸く会計をすまっせて前の薬局へ、ここで受付を済ませたら喉の渇きを覚え棚からジュウスを取り飲んで終いそれから料金を祖払う、ここで家にテレホンを入れ帰宅の途に着く。
どこかで昼をと考え昔の仲間が初めたと言う蕎麦屋へ回ってみることにする、大分遠回りだがナビを入れて画面を見ながらやっと着く、市内とは言え赤堀地区の下触と云う処、新興住宅地のよう此処なら田舎でもお客は有るだろうと思いながら入る、聞いた感じと大分違う本人は居ないで息子が切り盛りしている、「清ちゃん偶には来るの」「全然来ないですよ」との事どうも同級生の方はもう亡くなってるよう、話が通じない鴨南そばを食べて退散だ、然し店の隅の薪ストウブは良い感じだ薪を集めるには何か手は有るのか気になる処だ。
二時前には帰着居間は日が入り暑いくらい予定の午睡を済ませてお八つのお茶を頂き二階の自室へ。