普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

社会の劣化が止まらない

2007-05-05 08:13:00 | 政策、社会情勢

社会の劣化が止まらない。

私はその原因の一つは、敗戦以後の価値観と社会情勢の急激な変化に日本国民が対応しきれてないことがその大きな原因だと考えている。

1.人々の孤立化
5月4日の読売新聞のコラム「漂流する倫理」の中で、
「薄れゆく心の交流」の見出しで、1997年、ニューヨークで、電通の山崎聖子さんが「日本人は無宗教なのに、なぜ人々のモラルが高いのか」のテーマで講演で、国民の価値観や生活様式が均質化し、持ちつ持たれつの意識が強い中で「つばを吐いても、石を投げても、最後は自分にはね返る」と言う自律的な観念が発達したと説明した。
それから10年。山崎さんが手がけた世界価値観で「周囲と助け合う事が大切」と答えた日本人の割合が18ヶ国中17位だった。「日本人はどうなってしまうのか」。山崎さんは溜め息をつく。
と書いている。

[家庭の孤立化→コミュニティーの崩壊]
(1)急速な経済膨張に基づく大家族の破壊→核家族化
(2)権利重視、義務や責任の軽視の教育
(3)コミュニティーからのサービスを受けるのは権利だと考えるが、コミュニティーでの活動に協力する義務も責任を感じない。
(4)コミュニティーと隔絶した家庭の増加→コミュニティーの崩壊

[子供の孤立化]
(1)プライバシーの観念の導入
家庭の中でも子供に鍵つきの個室を与える。
子供がプライバシーの理由で親の指導を拒否する。
(2)少子化→子供社会の消失→子供の孤立→入学後はクラス毎の密閉した同じ価値観を持つ子供社会ができる。
その結果、人々が孤立した状況に馴れてしまい、そしてそれを当然だと思ってしまう。
その極端な例が、車内での女性の化粧だ。
彼女達は、車内にいても自分一人の世界にいると思っているのだろう。

参照:
 このように子供に接しては

2.情報の氾濫
石原慎太郎さんがそのホーム・ページの中で、人から聞いた話として
久し振りにヨーロッパに長期滞在した時、どの国でも、中、高校生の年齢の子供たちで携帯電話を持っている子供を全く見掛けなかった。現地の人の話では、その価格や料金からしても子供が与えられる小遣いではまかなえるものではなく、当たり前のことだといわれた。
と紹介し、
携帯電話とかパソコンといった現代文明の所産は通話による情報交換の便宜の末に、情報の氾濫(はんらん)をもたらしたといえる。過剰な情報を収(しま)いきれずに人間としての本質を失いつつあるような気がしてならない。
と書いている。
石原慎太郎公式ウエブ・サイト

石原さんの話で直ぐ気付くことは、中、高校生に携帯使用に伴う金の責任も持たせないで、与えてしまう甘い無分別な親達がいることだ。

つまり、人々(特に子供)は孤立した世界の中で、インターネットや携帯電話の世界の中で、氾濫する情報に溺れているのだ。

そして、親達は子供達がどんな情報を得ているか知らないのだ。
これで、親が子供に十分な教育を進められないのは当然だ。

3. 日本古来の価値観の喪失と新しい価値観の導入
敗戦後、個人の権利、プライバシー、市場経済主義など西欧の考え方や価値観が導入され、日本古来の考え方や、価値観は敗戦の反省もあり、とかく否定されがちだった。

勿論、日本古来の考え方や、価値観については見直すべきところもあったと思うが、西欧の考え方や価値観にも良い所もあるが、それに伴う悪いところもあること、それに対して西欧の人達はどう対応したかも学ぶべきだった。
行き過ぎた権利行使にブレーキを書ける訴訟の多発などがそうだ。
然し、この風潮は日本の社会に馴染まない。

日本人としては、日本古来の価値観と西欧の価値観の融合を考えるべきだった。
たとえば、「お天道様が見てる」など子供時代から教えこんでおれば、世の中も今ほどに劣化してこなかったと思うのだが。

然し、日本人特有の世の中の風潮に流される傾向と、例えば「いじめをする人は卑怯者だ」のような日本古来の価値観を持ち出すと、一部マスコミや知識人から軍国主義と結びつられて攻撃されることから殆ど進まなかった。

それどころか、今でもブライバシーの名の元での、警察の犯罪捜査への非協力はまだ良い方で、経済万能の考え、拝金思想が蔓延して、社会の劣化の進行が止まらない状況だ。

今こそ、今まで日本に導入された新しい価値観や考え方と、日本古来の価値観や考え方の融合とよりよい方向への改善を図るべきだと思う。

このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。↓
人気ブログランキングへ