普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

ビッグスリーに学ぶこと

2008-12-20 16:39:45 | 企業経営

 昨日のエントリーで日本企業が今のままで行くと米国のビッグスリーの後追いをすることに成りかねないと書きましたが、今日はそのビッグスリーに代表される、米国流の経営のやり方と従来の日本の経営を考えて見たいと思います。

 それで米国企業を代表するGMの歴史をWikipedia
で拾って見ました。
・戦後、1950年代にはGMはアメリカ最大の会社となる
・オイルショックによって小型車の需要が高まると、いすゞ等の開発協力を得たモデルなどの販売戦略の転換が進められたが、品質と生産性の悪化が顕著となる

 当時の日本の企業は米国から導入した品質管理の概念の実用化と生産管理の改善と生産性の向上に取り組んでいました。
・1984年にはトヨタとの合弁会社設立、QCに関するノウハウの吸収に努め、国内の工場のリストラ、労働条件の引き下げといった生産性を向上する取り組みにも着手
 日本のQC活動やノウハウは企業の家族的経営と修身雇用→企業への忠誠心→自主管理活動から生れたものです。
 そのころ景気の変動もありましたが、余った従業員は関連会社などに出向させて何とか雇用を確保していましたし、中には新日鉄から冠婚葬祭会社まで出された人さえいたそうです。
・1990年代を通じたアメリカの好景気は、フルサイズSUV・ピックアップトラックなどの需要を生み出国内のシェア低下には歯止めが掛からなかったものの、高い利益率維持
・2000年頃からは環境保護問題の高まりなどで、消費者の嗜好は再び燃費の良い車にシフトしたが、GMは小型車部門のジオを整理・縮小していた。
 日本の企業は長期的なスパンで考えて燃費の良い車の開発に専念したのに、GMは企業は自分の物だと思っている株主の短期的の利益の要求に応えたのでしょうか?
・9/11直後に販売量が落ち込んだ際には、生産量を落とさない方針を採ったため在庫が増加。在庫を捌くために販売店へのインセンティブの上乗せや値引き販売を激化させる悪循環に陥り、2005年までに企業収益は一気に悪化し、格付け会社からは社債を「投資不適格」にランク付けされる
 自分だけ儲けさえすればよいと言う米国の株主は当面の配当が良ければ、そのため後の企業の業績が下がっさてもその前に売り抜ければ良いと考えいたのでしょうか?

 日本企業、特に製造業では、労働基準法のために長時間の労働の制限があり、労働組合の存在のためにサービス残業などさせられないと言う厳しい条件の中で、何とか生産性を向上させ、自主管理活動の一貫としての改善活動でその技術を向上させ、何とか世界の企業の太刀打ちできる力を持って現在まで来ました。
 逆に言えば厳しい規制と労働組合の存在が、結果的には企業の競争力を付けて来たのだと思います。
 (正確に言えば日本全体の生産性が低いと言われているのは、事務部門、流通・農業などの他の部門の総合的な生産性が劣るため、そして技術面での弱点は大学での基礎技術の研究が弱いことだと思います。)

 今回の雇用問題は、低賃金でしかも何時でも切れる非正規従業員の導入と言う、一昔のように多くの人達の意見を取り入れてこつこつと作り上げた生産管理システムに比べて、余りにもイージーゴーイングなやり方が今回のような問題が起こっているのだと思います。
 政府が言う様3万人が離職とそれに伴う社会不安、しかも少子高齢化のなかでは輸出減に対応する内需拡大など出来る訳はありませんし、テレビでも今それを言う専門家も殆ど居なくなりました。

 これに対して企業にも言いたい所が一杯ありますが、昨日も書いたので今日はNHKの持論公論の「不安を減らす雇用対策をの一節を紹介します。
 
非正規雇用の人たちは、安い賃金で働かされ、いつ解雇されるかわからない不安を常に感じながら、働き続けなければなりません。しかも、セーフティネットの網からもこぼれ落ちてしまう。こうした人が働く人の3人に1人を占める今の社会、本当にこのままでいいのでしょうか。あらためて、議論しなければならないときに来ていると思います。
 一方で、厳しく問われなければならないのは、企業の姿勢です。今、住まいがないという派遣社員を突然、放り出しているのは、日本を代表する大手企業です。政府に規制緩和を求め、いわば、働く人たちを犠牲にして国際競争力をつけてきたはずなのに、世界的な不況の波にさらされたら、ひとたまりもないというのでは、一体、何のための制度改正だったのでしょうか。苦しくても、利益をあげている企業は多いし、これまで内部にためてきた資金もあります。役員の報酬を減らすなど、身を切る努力もしていません。それなのに、これまで、安い賃金で働かせてきた派遣社員を業績にかげりが出た途端、百人、千人単位で削減する。これで社会的責任を果たしていると言えるのでしょうか

 昨日も書きましたが
・成果主義重点よりチームワーク重点
・ドラスティックな経営より人を大切に扱う家族主義的な経営
・モチベーションを給与、昇進で高めるより、それに加えて企業への忠誠心で高める
・短期的な利益追求より長期的な発展
・企業は株主のものより、株主・経営者・従業員のものの考え
などGMが真似してきた日本の技術やQCの管理手法は、日本の経営手法が産んだものです。
  
そのような経営手法れを全て棄ててしまって、GMのやり方をそのまま真似したり、米国なみに経営者が大きな収入を得たり、先のことを考えずに当面の株主の要求に応えて配当を上げたり、非正規とは言え従業員をロボットや物扱いにして首を切ったりして、日本がいまのような厳しい市場中心主義経済の社会を勝た抜いて行くのでしょうか。
 このまま米国流そのままの経営をすれば、何時かは米国のビッグスリーの二の舞を踏む事になりはしないでしょうか。

 勿論中国などの膨大なしかも低賃金の新興国の台頭などで、相対的な日本企業の競争力が落ちていると言う厳しい環境の変化もありますが、このまま米国流の経営手法で良いのか、従来からの日本的な経営手法の良い所をどう活かすのかもう一度考え直す時だと思います。
 少なくても人的資源しかない日本が、その人達をロボットや物扱いにするのは、人道的にに許されないのは勿論ですが、経営面から考えも余りにも勿体ないと思いませんか

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