昨夜、ネット上で「草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN」さんの「米国から見た日本の台湾統治」で「米国から見た日本の台湾統治~「知られざる台湾・台南市」」と言うyoutubeの紹介がありました。
実は、それと一緒に紹介された youtubeの中で、「SAVAGE ISLAND OF FORMOSA TRANSFORMED BY JAPANESE」と言う記事を紹介されていましたので、ニューヨーク・タイムズのライブラリーの中からそれを見つけましたので、翻訳してみました。
拙い翻訳で読み難いし長いものですが、もし良ければ終いまで読んで下さい。
(なお同資料はPDFですが、テキストに直したもの もネット上で見つけました。)
[日本人によって変身させれられた、未開の島台湾]
他国が征服に失敗したことを日本がなし遂げた驚異 ----他の植民地を持っている国へのレッスン
ロンドン、9月24日, 1904 (1895年 台湾が清朝から日本に割譲される)
[領有当時の台湾]
・どんなことを最初の試みは失敗するのが普通だ。
・その点で日本の最初の植民地である台湾の植民地化は特に興味がある。何故ならその台湾は他の多くの国に乗り越えられない障害を与えてきたからだ。
・台湾は清国や他の国の無法者には良い獲物だった。そして野蛮で手に負えない多くの住民がいたので、その一部は何度も征服されたが植民地になるまでいたらなかった。
・スペインとオランダは台湾の植民地化を試みたが失敗した。清国人はその土地を未開発のまま放っていた。フランス人や英国人はそれを得ようと思えば出来たが、その野蛮な地に足を踏み入れたがらなかった。
・日本が日清戦争の結果台湾を要求した時、清国は嬉しくはなかったが喜んで譲歩した。
(交渉に当たった)清国人の一人は日本は後で酷い商売をしたと気付くだろうと皮肉った。
[台湾安定化の経緯]
・日本が台湾に入った時はその海岸の海賊によって荒されるがままだった。内地は部分的に野蛮な原住民、無法者や盗賊の支配下にあった。彼らは難波した船を襲撃し、島に近づく船員殺した。
台湾がまだ清国に属したいたとき、米国などの国とこのことでトラブルを起こしていたので、彼らはこの無法の島を手放すことを喜んでいたのかも知れない。
・1年掛かった征服のあと1896年に民政下に置かれた。しかし前からいた清国の職員はその地位を失うのを恐れて、台湾の不平分子と組んで、新しい支配者に反乱するように煽動した。それで1901年に軍隊が反乱分子を除くまで迄は島は不安定と騒動が続いた。
[寛大な法の施行]
・日本の統治下で平和に成り始めて、僅か数年間にの内に、台湾の様相と未開な住民の考えは既に完全に変わっていた。現地人は日本の統治の慈悲深さ(blessing)を理解し始め讃え始めた。
・日本の素晴らしい成功をもたらした政策は次のようなものだ。
できる限り住民の抱く偏見に留意すること、そして文明化への道へ彼らを強制するのでなくて、むしろ優しくみちびくことだ。
・たとえば、無法者の攻撃、火事、洪水、天災から住民を守るために中国人で作られた古めかしい「平和部隊」(Peace Corps)はそのまま残す一方で、より進んだ日本の法律を導入した。
これは主として島の日本人たちに適用されるものだったが、文明の恩恵に浴していないため文明の環境の良い所を知らぬ、そしてその文明を支えるための法律を尊重することの必要性を知らぬ原住民向けにその法律を変えた。
[アヘン常用の習慣の改善」
(省略)
[原住民への配慮]
・(アヘン撲滅活動の間)日本政府は原住民達の宗教や習慣を直して彼らの感受性を損なうようなことは決してしなかった。そしてあらゆる面で人々の環境を改善することで、日本統治の明らかな証拠を彼らに見せた。第一に法を守る人達は最早盗賊団によって恐怖に晒されたり、圧政のもとに置かれることはなかった。そして本当の政府の下で自由を楽しむことができた。第二には彼らの健康福祉のために多くのことがなされた。
・台湾は多くの伝染病で悩まされていた。それらは澱んだ水溜まりや汚れた川の水を使っていたためだった。日本人は綺麗な水をすぐさま提供し始めた。
・掘られていた殆どのの自噴式の井戸は使えなかった。台湾の10%の人達が住んでいた台北地域だけでも、800以上の井戸が潰れていた。
[優れた教育制度]
・教育が全ての発展の起点だとして、日本は素晴らしい教育システムを台湾に導入した。 日本人用には2.000人の生徒と60人の教師がいる学校(複数)と、原住民には521人の教師がいる130の小学校があった。 彼らは18,149人の子供たちを教育し教養ある人にした。
・然し日本は原住民に小学校を提供するだけで満足しなかった。何故なら彼らの野心は台湾に最善のものを与えることだったからだ。日本は医学の学校、日本語学校、師範学校を設立した。
・台湾の医科大学は非常に大きな(日本流教育制度の)特徴だ。それは元清国人の学生のために近代化学と医学のレギュラーのコースを提供する極東では唯一のものだ。それは台北にあり、現在では150人の生徒が有能な日本人教授から医学を学んでいる。
・日本語学校には二つの目的がある。一つは日本語を原住民にひろげること、一つは日本人に土地の言葉を覚えさせ、奥地で教師兼通訳として活動する準備をさせることだ。
・人の幸福は安全、暴力からの開放、健康福祉だけでなく、繁栄(prosperity)にもよるものだ。日本は新しい植民地をより繁栄させることでそその目的を達成してきた。
長くなりますので、鉄道網の整備、産業の育成、銀行・金融機関の整備などは明日以降に譲りますが、今までの記述の内容と第一回目のNHKスペシャル「アジアの"一等国"」の内容が余りにも違うこと、そして私たち戦前派が想像していたことと殆ど変わりないことには、今更のように驚いています。
私は日本を無闇に卑下する日本人やマスコミは、他国の人達やマスコミから絶対に評価されないと思います。
評価されるのは日本の良い所、悪い所を率直に認め、威張らず、卑下もせず、それでいて自然と滲み出る日本人としてのプライドを持つ人やマスコミです。それで始めて(政治的な駆け引きを別として)外国の人達からも日本人やマスコミの意見を受け入られると思うのですが。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
↓
政治ブログランキングへ