【我が町の人口密度は119人/km?。大鹿村は4.61人/km?だ。】
映画「大鹿村騒動記」を観た。長野県に実在する村である。
我が町は過疎地域に指定されている。それなのに人口密度は
大鹿村の25倍である。それだけでどんな過疎地か想像できる。
しかしこの村、そんじょそこらの過疎地域ではないのである。
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南アルプス山麓の谷間に位置し、
四方を山で囲まれた長野県下伊那郡、大鹿村。
300年以上にもわたる村歌舞伎の伝統。
実在の村歌舞伎を背景に生き生きと描かれる、群像劇だ。
映画の公開中に亡くなった原田芳雄さんが主人公だ。
本人は遺作となるかもしれないと思っていたか
どうかは分からないが、その原田さんが、
「どうしても制作したい。」と切望したのだそうだ。
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この映画は、愛すべき”オトナの喜劇”だ。
原田さん演じる、風祭善は鹿の肉を食べさせる
食堂を営んでいるが、村歌舞伎を一番大事にしている。
その本番も迫った頃に、18年前に女房に
駆け落ちされたのだが、
その駆け落ちした二人が村に帰って来る。
その女房が認知症で手に余るから返すと言う。
何とも身勝手な振る舞いだが、なんだか可笑しい。
他方、300年の歴史があるという村歌舞伎の練習は、
小さないざこざがあってうまくいかない。
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お話しは、村歌舞伎の練習をめぐるドタバタと
駆け落ちした二人と善さんの
ぶつかり合いが絡み合って進む。
村歌舞伎の練習のいざこざはともかく、
駆け落ちして戻ってくるという話は、
普通に考えると深刻な設定のはずなのだが、
おかしな言動の中に消えていく。
この映画は、人の暮らしという自然の中に人為が
とけ込んでしまう喜劇だ。
歌舞伎にかけて暮らすということは、
リニア新幹線の駅ができるかどうかより、
結婚や離婚という人生の一大事より
ずっと一大事となっている。
本当にそうかも知れないと思わせる。
ドラマのような人生のその基底みたいなもの、
暮らしの基底部のようなものが
あるんだといっているようだ。
私は、そう受け取った。
だから、それは、人の出会いと別れといった
感情の起伏を越えて淡々と流れていく。
その部分を描こうとした喜劇だ。
十分にエンターテイメントしている映画だ。
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そしてこの映画はなんと入場料1,000円である。
全国公開しているが上映館は限られており
和歌山県では1館のみ。それも1日3回の上映。
数時間の道のりをかけて観に行った訳だが、
私の中でも納得できる映画の一本となったのである。
【「仇も恨みも、是まで、是まで」の台詞が実に効果的であった。】