【桜の季節が終わったら、訪ねてみようか。根来SL公園を。】
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
どういう訳か、国鉄OBのお爺さん、いやおじさんと
話す機会があった。JRじゃなくて国鉄だよ。
「良かったら読んでみてよ」と新聞記事のコピーを
私に渡した。私、小さい頃から鉄道マニア。
その新聞。こう書かれていた。《記者には失礼。少し編集。》
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
早春の夕日が黒い車体に反射していた。
岩出市根来の根来SL公園に展示される蒸気機関車
「D51 930」。昭和の時代、白煙を吹きながら全国を
走り抜け「デゴイチ」の愛称で親しまれた。
この930号は、1934年に製造された。東海道線の
米原機関区や北陸線の敦賀機関区などを経て、
65年7月からは紀伊田辺機関区に所属して紀勢線で
活躍した。72年11月限りで現役を引退。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
翌73年からは和歌山県海南市みなと公園に展示され
ファンの人気を集めていた。
だが、公園は98年6月に閉鎖され、近くの工場跡地で
野ざらしにされた。車体には傷みやサビが目立ち、
部品が盗まれることもあった。スクラップも検討された。
それを譲り受け、根来SL公園での展示にこぎつけたのは
「D51 930保存会」だった。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
《中略》
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
2002年11月、市(当時は町)が教育的資料として受け入れる
ことになった。だが、海南市みなと公園へ行って保存会の
人達は愕然とした。
「サビだらけであまりにボロボロ。」
「見ていられなかった。」それでもあきらめなかった。
5か月後、車体を3分割して移送してきた。
開園までには、さらに4か月余りもかかった。
壊れていた部品は、JR各社や国鉄OBを通じて探したり
保存会が作ったりして、交換した。
保存会の約20人がサンドペーパーで車体のサビを落とし
黒光りするまで磨き上げた。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
03年9月に開園。それから5年足らずで約18,000人が
公園を訪れた。《開園しているのは週5日。土祝日休園》
「この機関車は和歌山を走っていたんだよ。」
日曜日は保存会の方が出てきて、子どもたちに説明。
子どもたちも一生懸命聞き、運転席でレバーも操作できる。
「もう、お目にかかることもないと思っていたから、、、。
これからも大切にしていきたい。」
保存会のだれもに、「デゴイチ」への愛情と
「国鉄マン」としての誇りがあふれていた。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
まっちゃんの家の近くを走る、和歌山線。
確か、まっちゃん17歳の時までSLが走ってた。
SL運行最後の日。線路間際で写真撮ったよ。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
そして、岩出市のHPから「保存会」の頁へリンク。
何と新聞のコピーをくれたおじさんが笑顔で登場してる。
人間、熱中人生を過ごしていたら肉体は老いても
精神や明日への希望は決して色あせないと
改めて感じた、まっちゃんでした。
∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞
豆知識:この車輌は外観をできる限り修復し保存、
これを、静態保存いう。
梅小路や大井川鉄道などで走行している機関車は
動態保存という呼び方をするのだそうだ。
【職場近くの桜谷川と土手の桜。名称に合わせ桜を植えた?】
おおきにです。
失礼しました。「SLばんえつ物語」号。
今、ネット上で乗ってまいりました。
まっちゃんとこを走ってた、機関車これと一緒でした。
まっちゃん、小さい頃。鉄道マニアでもあったのです。
車体では無く、今で言うなら、時刻表おたくです。
この根来へはまだ行ってません。今、桜の時期で
人、人。人込み嫌い。おまけに、私も出不精。
娘のことで、山口へ行った時、新山口から津和野まで
SL「山口号」が土・日走ってるんですが、予約で一杯。
その横を国道が走ってる。レンタカー借りて
すぐ横をSL「山口号」見ながら走りました。
見るだけでもレトロ感覚が溢れてました。
おおきにでした。
ありがとうございます。
桜の花。満開です。今年は花の時期も長い。
珍しい年になりました。
実は私。鉄道マニアでもありました。かつて、ですが。
だから、この話を熱く語られるおじさんに
つい耳を傾けました。
ビスタはふれたことも無いので、分かりませんが
kazuyoo60様のこと。困難を克服すること
信じて疑いません。
復活祈ります。
10年ほど前、子供会の遠足で乗りましたわ。
しかし、しゅうは高校時代の通学列車が時々、D-51だったのを覚えています。
昔の人間なんや~[E:weep]
まっ、それもいいか。ホントの事だもんね。
郷愁をさそいますねー しかし。
ではでわ、 しゅう でした。