【ゆすらうめ。何か郷愁を誘うよね。歌もそんなのが好きだネ。】
私の一番お気に入りな作曲家は、筒美京平さん。
今も健在。でも、もう71歳だそうである。
その筒美京平さんが1回限りということで先日テレビ出演をした。
「希代のヒットメーカー 作曲家 筒美京平」という番組だ。
彼は日本の歌謡界に最も大きな影響を与えた一人である。
その貴重なインタビューと共に、ヒット曲の数々を放送した。
ヒットチャート登場500曲以上、
1位獲得数39曲という圧倒的な数字を持つ。
何と今までの作品の総売上枚数は
7,400万枚を超える。(私も300枚以上は持ってる。)
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しかし、本人がマスコミに登場することは、ほとんど無い。
表に立つことを嫌い、プロの職人として裏方に徹する、
その美学を貫き通してきたからだ。
その筒美京平が、一回限りという約束でこの番組に登場し、
自らを語ったのだ。
テレビに映された彼は、やはり71歳の顔。
生の声も初めて聞いた。彼の作曲家人生に釘付けになった。
「匿名性をどこまで維持しながら、
音楽活動を行なえるか」をコンセプトに
活動し、露出が極端に少なく、
曲を発表するペースがあまりにも
早かったため、一時期「実在しないのでは?」
「ゴーストライター集団による擬人ペンネームでは?」
といった噂がよく流れ、私もそう思っていた。
その証拠にレコ大を受賞してもテレビには出なかった。
![Tyei_2 Tyei_2](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/c6/1570d57c9f98380038576b13b5074819.jpg)
実在すると確証したのは1997年だ。
作家活動30周年を記念して約2,650曲の作品のなかから
163曲を厳選したコンピレーション・アルバム
「HISTORY」をリリース。
それは、完全限定盤。私はCDショップに予約したが
手に入らずショックを受けてたところ、
田舎の店にワンセット置いてあった。
「1組仕入れたが高くて売れない。」と店長。
財布のありったけの紙幣を出して手に入れた。
今では、全く入手不可能でレアもの。
その中に何と、本人の顔写真や経歴やら
インビュー記事が封入されていて実在すると
30年経過して、やっと確信したのだった。
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バタ臭いのに日本語のノリと少しも矛盾しない
作・編曲に今さらながら感服するばかり。
この人の手によってスターになった歌手は
挙げるときりがない。
ちなみに初ヒットが、ヴィレッジ・シンガーズの「バラ色の雲」。
初ミリオンは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」。
「また逢う日まで」・「17才」・「よろしく哀愁」
「ロマンス」・「真夏の出来事」・「魅せられて」
「木綿のハンカチーフ」・「スニーカーぶるーす」
「人魚」・「やめないで、PURE」Kinki Kidsも
中川翔子さんの『綺麗ア・ラ・モード』も彼の手によるもの。
※個人的には、斉藤由貴さんの「卒業」が一番好き。涙が出る。
彼は音楽の神様に愛された少年と言われたそうだ。
私も音楽の神様に愛されたおじいさんになれないかな?。
だって、ある著名なアーティストが語ってたよ。
「Whmm」と口ずさんでいるのは、いつも筒美京平の曲!と。
私の作った歌も口につくとよく言われる。
でも決定的に違うよね。
「口ずさむ」と「口につく」では、、、。
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My Best Favorite 作曲家は、そう筒美京平さんである。
【ゆすらうめの花言葉は郷愁。彼がJ-POPを確立したんだネ。】
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