浪曲師の国本武春さんが亡くなりました。享年55歳。早すぎる死です。「うなるカリスマ!」の異名を持ち、その活躍はロックや童謡(「うなりやベベン」としてEテレ「にほんごであそぼ」に出演し、歌や語りを披露)にまで広がる奇才でした。僕も大好きだっただけに、残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。今度はあの世の方々にうなってみせてください。
浪曲師の国本武春さんが亡くなりました。享年55歳。早すぎる死です。「うなるカリスマ!」の異名を持ち、その活躍はロックや童謡(「うなりやベベン」としてEテレ「にほんごであそぼ」に出演し、歌や語りを披露)にまで広がる奇才でした。僕も大好きだっただけに、残念でなりません。
ご冥福をお祈りします。今度はあの世の方々にうなってみせてください。
大垣市赤坂地区にある中山道・赤坂宿を象徴する施設です。杭瀬川水系の川湊として栄えたかつての宿場町は、今もそこかしこに往時の風景を留めています。きちんとした観光客向け駐車場があれば、もうちょっと賑わうと思うのに。
かつての赤坂町は昭和42年に大垣市に編入されたわけだけれど、今も「赤坂地区」という半ば独立した町のような呼ばれ方をしています。成り立ち(宿場町)も産業(石灰岩や大理石の採石)も大垣とは別個のものだからという意識が、市民に流れているのでしょうね。
岐阜市で古墳というと「琴塚古墳」が有名ですが、現地に行ってみると樹々に覆われ鬱蒼としていて、古墳なのかただの林なのか区別がつきません。その点、大垣市赤坂地区のはずれにある「昼飯大塚(ひるいおおつか)古墳」は、岐阜県最大の前方後円墳で、しかも造られた当時の様子が分かるように整備されており「これが古墳というものかぁ~」と好奇心かきたてられます。誰でも立ち入ることができるため、子供たちが楽しそうに丘(実は墓なんですけれどね)を走り回っていたりもして、ちょっとイサム・ノグチ作の札幌「モエレ沼公園」を連想しちゃいました。住宅街の中であまり目立たない場所だけれど、なかなか楽しく過ごせますぞ。
上の写真で手前にあるのは本来の姿を表した模型。後ろが古墳で、右側が「後円」の部分。一部には石を敷いたり陶器を並べたりして、墓として祀られた往時の雰囲気を復元しています。
2枚目の写真は「後円」の部分の頂から「前方」の部分を見たもの。高さが13mほどあり、なかなか良い眺めです。
長さは約150m、「後円」部の直径は約99m、けっこうでかいんですわ。背後に赤坂の採石場が見えます。
岐阜公園堤外第一駐車場に隣接する通称「ロボット水門」です。正しくは「忠節用水分水樋門」と言い、こんなナリながら昭和7年の完成(角の部分は後年付け加えられた)で、岐阜県近代化遺産にも指定されている、由緒正しきシロモノです。本来は水防目的のものですが、今日では観光名所として岐阜市の観光案内でも紹介されています。アニメ版「僕らはみんな河合荘」にも登場しており、オタク層には聖地巡礼の場としても知られています。
それにしても昭和のはじめに、誰がこんな設計にしたんですかね?ロボットという概念はまだ一般的ではなかったかもしれないけれど、当時の目にだってヒトガタの何かに映ったはずだろうに。謎だ~。
ところでロボの下を流れる水路(湊コミュニティ水路)は水門の下流側が深みになっていて、小さいながらブラックバスが何尾か、他の小魚と一緒に泳いでいました。これは駆除が必要だな(笑)っていうかこの場所は定期的に駆除しているはずなんだけれど...
岐阜市内、柳ケ瀬商店街のすぐ南にある金神社(こがねじんじゃ)の鳥居が11月に塗り替えられました。以前は赤銅色(覚えてないけれど元々は赤かったのかな?)だったのが、ご覧のような黄金色に。「金」神社ですからね、それもまたよし。金運を主にご利益もパワーアップしたような気になります。次の初詣には来なくっちゃね。