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新宿松竹、「花も嵐も寅次郎」舞台挨拶

2021年01月05日 | JULIE メモリーズ

1985年は年始から7月9日のコンサートツアー「架空のオペラ」まで休養していたジュリー。その間は、ミーティングやレコード創りの準備していたそうです。4月からレコーディング開始、コンサートのリハーサルと、TVには出ないものの忙しく過ごしていたそうです。

2月にはショーケンとの共演「カポネ大いに泣く」が封切られて、これが久しぶりの動くジュリーを見られる機会でした。神戸の松竹の映画館まで観に行きましたが、観客は少なかったな・・。舞台挨拶で急に歌い出したジュリーが、奇行などと言われて、ファンとしては心配したものです💦

主演のショーケンと奥様は抜きの画像をアップ。やつしたジュリーが好きなので、ひげ面はファンとしては嫌だったわ。ところで、この下の画像に「新宿松竹にて」と書いてあるのに、編集をしながら気がついた。なので急遽、そっちの話をしよう。

元旦の「TVおしょうバズTV ☆いつの間にか消えたモノ大捜索!」
2021年1月1日(金) 12:00 ~ 16:30 街から消えたモノを大調査

という番組を誰か見ていませんか? この番組で1982年の新宿松竹の画像が写り、映画館の正面に掲げてある大きな手書き看板が「花も嵐も寅次郎」の三郎青年を演じているジュリーだった!!今や映画館の手書き看板なんて、まさに番組の言う「街から消えたモノ」

突然映しだされた映画館の大きな看板のジュリーに、一瞬目が釘付け  ジュリーや!!写メをしたくても残念、10秒も満たない一瞬では間に合いませんでした。ああ~残念 

靖国通りに面した新宿松竹のかつての姿。ここにジュリーの看板がドカンと大きく上がっていたと想像して。今は建て替わっています。

下の左のジュリーが映画看板に描かれていたように思うけど、さだかではない。

ダークなスーツを着たジュリーが、キリっとした顔で描かれていたのよ

公式サイト⇒男はつらいよ ジュリープロフィール

新宿松竹は、1982年12月末に「花も嵐も寅次郎」の公開時に舞台挨拶を観に行った場所で、たまたまこの時期は、都内の足立区に住んでいたので見に行けました。関東地方にお住まいの方なら、度々 舞台挨拶は見られたことでしょうが、地方に住んでいると、そういう機会は滅多にないのです。



以前にもアップしたのだけど、「新宿松竹メモリーズ」

1982年の年末、新宿の映画館で、映画の初日に出演者の
舞台挨拶が有ったので、早起きして足立区から観に行きました。
が、冬の朝8時頃に着いたら すでに映画館の前は大行列で
遅かったか💦10時くらいからの上映じゃなかったかな、
今と違って密密密の混雑だが仕方がない。
辛抱強く多くの観客とともに開館と上映を待ちました。

当時の映画館は大劇場(1000人くらい)で、やっと真ん中辺りの席を確保。
客は、ジュリーファンが殆どか?という感じでしたが
冬休みのせいか、客層は見渡せば10代の若い世代が目について
ジュリーファン層にしては、年齢が若めだなと思いましたが
この私だって20代で、まだまだ若かったのです。

この頃は二本立て興行で、もう一本は中村雅俊さんの清水の次郎長の
「つっぱり清水の次郎長」作品の中身はさっぱり記憶が無いです。
申し訳ないけど、所詮 寅さんの添え物映画ですわ(´ε` ) 
当時から中村雅俊さんは、人気があったと思いますが
お客さんの舞台挨拶のお目当ては、殆どがジュリーのようでした。
ジュリーが出てきた時のキャー!!という声援が一番大きかった。

82年はタイガース同窓会、「お前にチェックイン」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
話題もヒット曲も豊富で、ジュリーは売れていましたが
舞台挨拶でジュリーはそれほど喋りませんでした。
何故なら2作品の出演者が大人数でズラーーっと、舞台上に並んでいるので、
ジュリーの喋る時間はあまり無かったのです。
その話した中身も、いまや全く覚えていないのが残念。
今なら、写メとりまくりメモまくりなのにね~(笑)

併営の「つっぱり清水港」には、今や芸能界のBIGな大物
明石屋さんまさんも出ていました。当時はすでに人気者になっていたけど
この時の舞台挨拶の さんまさんの立ち位置は、
ジュリーや中村さんを盛り立て、その場を盛りあげる、あくまでも
色物、芸人、にぎやかし、添え物、という感じでした。

さんまさんは実際、舞台上に居並ぶ出演者を横にして必至で
お客さんを盛りあげよう 笑わせようと、身振り手振りも大きく
1人だけテンションが高く煩かった。 私はウルサイナー(ーー゛) 
ジュリーにしゃべらせてよ。黙って、と思って見てた。
おそらく、他の観客だって同様だったに違いない。

さんまさんは、名前は売れていたが、まだまだBIGではなかったはず。
関西では有名で人気は有ったが、この当時の首都圏では
大阪の芸人が、どれほどの人気があったのかどうか・・?
と、思っていたが「ひょうきん族」が始まっていたので、
すでに全国的に有名だったようです。
 
というわけで、せっかくの たった一度きりの舞台挨拶の思い出は
さんまさんが、煩かった・・という記憶でした(-_-;)
私も観に行きました、という方はおられませんか?
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