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今頃ですが「君だけに愛を」

2021年01月15日 | 新聞・雑誌 記事

今頃ですが、ジュリーファンの間で話題になっていた「君だけに愛を」阿野冠作、J友さんから見せて頂きました。まだ読んでなかったの?とは言わないで~(ノ∀`)  その代わり「キネマの神様」は、志村けんさんが亡くなる前から図書館で借りていたので読むのは早かったんです。

本はジュリーファンとして、よく理解できるところもあり、夏休みの間にちょっとだけ冒険をしたせいで、少し成長した主人公に気持ちを寄り添わせて切なく、最後はちょっと哀しくなりました。

京都に住む少女たちが、ザ・タイガースのメンバーの実家を探し当てようという、ひと夏の冒険。

実家を探し当てようとしなくても、当時の雑誌にはメンバーの実家の住所がしっかり書かれていたのでは・・?と、野暮なことはいいますまい。
中二の少女たちの京都弁で語られる話し言葉や、登場する京都の数々の地名が物語に彩を与えている。京都人ではないのに、その地名に華やぎと奥行を感じるのは日本人だからこそやね。昭和40年代の京都の夏の陽炎のたつ路地の光景や、中学校の校舎裏の匂いがしてきそうだった。京都という土地柄ならではの物語が少女たちを取り巻き、少女を縛り、そこで少女は動いている。

「初潮がきて背が伸びるにつれて魂が一変した。無性にジュリーが愛しくなった。言葉では説明のつかない激しい感情やった。それは鎮静しない熱病としか言いようがなかった。」
久しぶりに聴く、初潮という言葉に気恥ずかしさを感じてしまったことが、今の我が身の年齢にから、さらに気恥ずかしく思えてしまった。(^^;

中二になると体つきも変わり、子供時代をだんだん脱していき、周りの社会というものにも目が開いてゆく。思春期と呼ばれる頃か。
少し背伸びもしてみたい。そんな時に、今まで見たこともない美しいジュリーをひとめ見てしまったら・・ まさに多感な時期に、ジュリーとザ・タイガースの存在が気持を一変させ、それまで夢中にしていたものを、まったく過去のものにした。御三家とか言っていたのに、今となれば全然魅力的じゃない、あれは全く本気の気持ではなかったんだわ。

本には中学生の少女らしい友情や、気持ちのうねり、昂まり、機微が繊細に京都弁の話し言葉で描かれていて、まるで あの当時の少女たちの心の内を覗き込んだみたい!と思った。
ところが作者は、まだ若い1993年生まれですって?!しかも男性。どうして、これほど中二の少女の心の動きがわかるんだろうね・・ 素晴らしい。

私は当時は主人公よりも子供の小学校の5年生、TV画面に映るジュリーの白い貌を一目見た途端、その日からジュリーが、やすやすと心の中に入り込んでしまった。
それまでの小学校の1年生から4年生までの、特筆すべき自分の記憶なんてほとんど残っていない。小学1年生の時の東京オリンピック、2年生の家族旅行、あとは大河ドラマの記憶くらいかな・・
ところが、ジュリーファンになった小学校の5年生から、記憶は急にくっきりとした輪郭を持って鮮やかになる!小学低学年はあまりに昔過ぎて、記憶が残らないだけ・・とは言わないで。
小学5.6年はジュリ~♪と頭の中はタイガースとジュリーでいっぱい。曲や衣装をTVや雑誌で楽しみ、GSやタイガースが世間で排斥されることが悲しかった。色々思い出があるわ〜!タイガースだけじゃない、テンプターズにオックスにワイルドワンズ、GSの音楽全部が好きだった!だから今でもGSにこだわっている。

「それは鎮静しない熱病としか言いようがなかった。」私の小さな熱病はGSの衰退とタイガースの解散で鎮静した。中2の私の思春期は他に興味が移ってしまい、ジュリーは遠くなった。熱病が復活するのは、ジュリーがソロ歌手として登場してからだった。

ジュリ~♪ピーがいなくて御免なさい。

本の中に、サリーを「俳優としてもやっていけそう」・・とあったが、それは後付けやと思う。当時のサリーにミュージシャン、ベーシストのイメージ以外に何があるというの。 

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