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サリー HAPPY BIRTHDAY!!

2021年01月10日 | タイガース・GS

1947年1月9日はサリーのお誕生日。

一日遅れになりましたが

74歳、おめでとうございます(^-^)

画像は、1968年の21歳のサリーです。

音楽から俳優の世界へと変わっていったサリーは

今は他の誰にも代えがたい役者さんです。

若いサリーは音楽と「かくとう」していたのかもしれないけれど

今現在の俳優としてのサリーに「かくとう」している

イメージがない。

それほど飄々とした軽やかさがサリーにはある。

年齢とともに、人間味の溢れるお芝居に

いっそうの味わいの深さと、厚みが加わっている。

とは思うものの

その厚みには重厚さよりも、軽やかな振れ幅があって

一本調子とも聞こえる関西弁や

調子のよい台詞が

いたって耳に心地よい。

 

この先、80になっても90になっても

ずーーーーーっと

サリーと呼ばせて下さい!!

そして、これからもずーーーーっと

ジュリーの味方でいて下さい(^^)




J友さんから情報を頂きました。元旦の読売新聞の記事が、ネットで読めます。こちら⇒読売オンライン
菅田将暉「芝居がしたい」…セットの端で2人きり、涙目で心情を説明する山田監督に役が重なった

※志村さんの後を継いだのは沢田研二。「とてもチャーミングで、久々に先輩のお芝居を見て興奮しました。同じゴウなので変な感じですけど、本当に光栄です」と感激を表現した。

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LAZY

2021年01月10日 | タイガース・GS

今日も我が家の草花は、凍り付いたままグッタリ、復活できるのか心配になってきた('_') 

寒そうな1984年のジュリー。

J友さんより、ジュリー情報を頂きました。ジュリーも出るそうです。

3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100

TV東京は放送される曲が「TOKIO」ばっかりなので、違う曲が流れますように( ̄人 ̄)


そのまた「TOKIO」が、昨日のNHKの「コンテナ全開、開けちゃいました」という番組で、東京湾のコンテナの映像が流れ、そこにジュリーの「TOKIO」の歌声が結構長く流れました。


次もJ友さんから、教えていただきました。⇒【ジュリーの小ネタ!】誰も知らない?!沢田研二さんのマイクのお話!!

芳本春治さんは、ジュリーファンで、ライブでジュリーのカバーなどされているそうです。



ふみりんさんから見せて頂いた「カポネ大いに泣く」のイメージソングを歌っていた鹿取容子さん。84年の「カポネ」のイメージソングは、売れたのかしらん(^^; 私はこの方をけっこう覚えています。

ピンクレディーの所属事務所が、天馬るみ子さんらと、次のアイドルとして売り出した。都会的であか抜けた雰囲気は良かったけれど、歌唱力は。。。 

80年のデビュー曲「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」という曲が印象に残っている。⇒鹿取 洋子 ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ(1980 OA) その同じ曲をレッツゴーヤングだったか?で、LAZYが歌ったら、とても良かった。曲が一気に名曲に聴こえた、鹿取さん、すいませんね(*_*) 

LAZYはタローさんがプロデュースしていたそうです。そのせいか、アイドルGSのような売り出し方で、興味のない私には子供っぽく見えたけど、実力がある!と知りました。その後に出た、LAZYの新曲が「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を意識している!と思いました。私見ですけど(^^ゞこちら⇒Midnight Boxer

LAZYは鹿取さんとは歌詞が違う「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を、すでにアルバムに入れていたそうで、彼らがシングルで出せば、きっとヒットしたんじゃないだろうか。と今でもそう思う。

ボーカルの影山ヒロノブさんは、今はアニソンで有名な方だそうです。⇒影山ヒロノブが全部語った、アニソン界のトップランナーになるまで!

※一部を抜粋。なんだか、ファニーズのデビューと似ています(^^ゞ


──デビューに際して、LAZYはロック志向ではなく、アイドルバンドとして売り出されることになってしまったわけですが…… 

影山 最初に声をかけてくれたかまやつさんがね、「ポール・ロジャースにプロデュースさせよう」とか「格好もそのまんまでOK」とか言ってくれてたんで、「あぁ、このまま俺たちロックできるんだ」と思ってたわけですよ。そうしたら、かまやつさんはだんだんプロデュース・チームから外されていっちゃうんですよね。向こうのロックの話とか、デカいことばかり言うから(笑)。

で、代わりにチームになったのが、サウンド・プロデューサーが森本太郎さん(元ザ・タイガース)、レコード会社のディレクターは岡村右さん(元パープル・シャドウズ)、事務所の社長は元アウトキャストのメンバーっていう顔ぶれで。そうなるとやっぱりグループサウンズのようなタイプのバンドを、もう一度自分たちの手でプロデュースしたいって意識が強かったみたいですね。加えて、この頃日本でもベイ・シティ・ローラーズが爆発的な人気だったので、どうしたってその波に乗ろうとするよね。だからLAZYも、僕たちがやりたいハードロックとは別の方向の、「和製ベイ・シティ・ローラーズ」「平均年齢16歳のアイドルバンド」に変えられてしまったわけ。これについては、かまやつさんも後年、心苦しく思ってたよ……と告白してくれましたよ。

でもね、今思えばそれがよかったのか、悪かったのかはわからないんだよね。そこで無理矢理ハードロックでデビューしたとして、俺たちが今、ここに残れてるかどうかは本当にわからない。

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