今日も我が家の草花は、凍り付いたままグッタリ、復活できるのか心配になってきた('_')
寒そうな1984年のジュリー。
J友さんより、ジュリー情報を頂きました。ジュリーも出るそうです。
⇒3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100
TV東京は放送される曲が「TOKIO」ばっかりなので、違う曲が流れますように( ̄人 ̄)
そのまた「TOKIO」が、昨日のNHKの「コンテナ全開、開けちゃいました」という番組で、東京湾のコンテナの映像が流れ、そこにジュリーの「TOKIO」の歌声が結構長く流れました。
次もJ友さんから、教えていただきました。⇒【ジュリーの小ネタ!】誰も知らない?!沢田研二さんのマイクのお話!!
芳本春治さんは、ジュリーファンで、ライブでジュリーのカバーなどされているそうです。
ふみりんさんから見せて頂いた「カポネ大いに泣く」のイメージソングを歌っていた鹿取容子さん。84年の「カポネ」のイメージソングは、売れたのかしらん(^^; 私はこの方をけっこう覚えています。
ピンクレディーの所属事務所が、天馬るみ子さんらと、次のアイドルとして売り出した。都会的であか抜けた雰囲気は良かったけれど、歌唱力は。。。
80年のデビュー曲「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」という曲が印象に残っている。⇒鹿取 洋子 ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ(1980 OA) その同じ曲をレッツゴーヤングだったか?で、LAZYが歌ったら、とても良かった。曲が一気に名曲に聴こえた、鹿取さん、すいませんね(*_*)
LAZYはタローさんがプロデュースしていたそうです。そのせいか、アイドルGSのような売り出し方で、興味のない私には子供っぽく見えたけど、実力がある!と知りました。その後に出た、LAZYの新曲が「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を意識している!と思いました。私見ですけど(^^ゞこちら⇒Midnight Boxer
LAZYは鹿取さんとは歌詞が違う「ゴーイン・バック・トー・チャイナ」を、すでにアルバムに入れていたそうで、彼らがシングルで出せば、きっとヒットしたんじゃないだろうか。と今でもそう思う。
ボーカルの影山ヒロノブさんは、今はアニソンで有名な方だそうです。⇒影山ヒロノブが全部語った、アニソン界のトップランナーになるまで!
※一部を抜粋。なんだか、ファニーズのデビューと似ています(^^ゞ
──デビューに際して、LAZYはロック志向ではなく、アイドルバンドとして売り出されることになってしまったわけですが……
影山 最初に声をかけてくれたかまやつさんがね、「ポール・ロジャースにプロデュースさせよう」とか「格好もそのまんまでOK」とか言ってくれてたんで、「あぁ、このまま俺たちロックできるんだ」と思ってたわけですよ。そうしたら、かまやつさんはだんだんプロデュース・チームから外されていっちゃうんですよね。向こうのロックの話とか、デカいことばかり言うから(笑)。
で、代わりにチームになったのが、サウンド・プロデューサーが森本太郎さん(元ザ・タイガース)、レコード会社のディレクターは岡村右さん(元パープル・シャドウズ)、事務所の社長は元アウトキャストのメンバーっていう顔ぶれで。そうなるとやっぱりグループサウンズのようなタイプのバンドを、もう一度自分たちの手でプロデュースしたいって意識が強かったみたいですね。加えて、この頃日本でもベイ・シティ・ローラーズが爆発的な人気だったので、どうしたってその波に乗ろうとするよね。だからLAZYも、僕たちがやりたいハードロックとは別の方向の、「和製ベイ・シティ・ローラーズ」「平均年齢16歳のアイドルバンド」に変えられてしまったわけ。これについては、かまやつさんも後年、心苦しく思ってたよ……と告白してくれましたよ。
でもね、今思えばそれがよかったのか、悪かったのかはわからないんだよね。そこで無理矢理ハードロックでデビューしたとして、俺たちが今、ここに残れてるかどうかは本当にわからない。