プレゼンやスピーチの原稿を書くたび、ため息まじりに思う、自分にシェイクスピア俳優のような才能があったらな、と。
たとえばステージを左奥から右前へ斜めに大股で横切りながら、聴衆の胸を打つセリフが短く力強く言えたら、こんなにくどくどと長い原稿を何度も書き直す必要などないのにな、と。ないものねだりである。
オーソン・ウエルズはシェイクスピアの舞台から出発し、生涯その作品を愛し続けた。
シェイクスピアの四大悲劇の一つ「オセロ」のほかに「マクベス」、「フォルスタッフ」を映画化し、「リア王」を舞台とテレビで演じている。
しかし同じシェイクスピアでも、例えばローレンス・オリヴィエのそれが雄々しく、華麗で整合感のある古典劇なのに対してウエルズのそれは魔的で、不吉なサスペンス劇である。
ウエルズの「オセロ」は主人公オセロの死に顔のアップから始まる。
非業の死を遂げた夫妻の葬式のシーンである。
このあと悲劇がその発端まで遡って語られ、同じ葬式のシーンで終わる。
面白いことに、これはフィルム・ノワールの典型的なスタイルだ。
さすがに回想形式ではないけれど、「市民ケーン」同様、結末-物語-結末という作りだし、とらえ方はまさしく「美女のために罪を犯し破滅した男」だ。
「マクベス」もかなり前衛的だが、この作品はウエルズ独特の大胆なカメラ・ワークと画面構成がいつにも増して冴え渡り、非常に過激かつトリッキーな印象を受ける。
デズデモーナのなきがらを抱きかかえたウエルズのオセロをカメラは足元から仰ぎ見るようにとらえてグルグルと回り出す。
これが1949-52年に作られた映画とはとても信じ難い。
またウエルズの映画ではおなじみの、セリフをしゃべっている人物を直接撮らず、そのかわり白い壁にくっきりと映った影の方を撮る意味深のショットもたびたび登場する。
すべてを斜めに切り取り不安なムードをたたえた画面、スピーディな編集、ウエルズ自身のダイナミックな演技。カンヌ映画祭でグランプリに輝いている。
ムーア人のオセロ(ウエルズ)と妻デズデモーナ