高校生の頃、日曜にテレビで放映されていた小津安二郎の「彼岸花」(1958年)を観た。
今となっては誰も信じないだろうが、70年代、小津はもう忘れられた過去の映画監督で、入手できる研究書はほぼ一冊、地方で作品が上映されることは皆無だった。
もちろん、家庭用のビデオはまだない。
母が後ろに立ち、画面を眺めながら不規則発言を始めた。
「山本富士子、いいわよね。でも私はこの映画より次の『浮草』(1959年)の方が好きだな。若山先輩が出ているから。」
「この映画ね、面白いんだよ。女優さんたちの帯が、全部無地なの。せっかく大映から山本を借りてきて、カラーで撮った(小津監督初のカラー作品)のに、もったいないよね。」
「たぶん、監督さんの好みなんだと思う。着物のデザインは全部このひと。」
母はテーブルの上にあった愛読誌の「美しいキモノ」を指さした。
その表紙には「特集 浦野理一」と書かれていた。
僕が本格的に小津映画に観始めたのは、その数年後、進学のため上京し、火災前の国立フイルムセンターで催された「小津安二郎特集」(1981年1月~)に日参してから。
入場券は当日先着順に販売だったので、熱狂的なファンが残っていた原節子主演の作品は毎回売り切れていて入れなかった。
それが2008年、筑摩書房から出版された中野翠の「小津ごのみ」を手に取って驚いた。
「彼岸花」での女優たちの帯がすべて無地だ、と母と同じことを述べていたので。
さらには、フイルムセンターで観た際に度肝を抜かれた、「お茶漬けの味」での小暮実千代のひょうたん柄の浴衣についても言及していた。
映画狂を自認するわれわれ男たちより、着物好きの女性たちの方が、小津映画に対する洞察が深いのではないか。
なんだか足をすくわれたような気がした。
―小津監督から、贈り物もあったと伺いました。どのようなものでしたか。
撮影に入る前には、どの作品でも衣裳調べというのがありまして、監督、俳優、衣裳さん達と、衣裳を選ぶのですが、『彼岸花』の時は、小津先生が事前に私の衣裳を全部選んで下さっていました。その中のファーストシーンで着た、浦野理一さんという着物作家の方の着物を、撮影が全て終了した後、記念にとプレゼントして下さいました。その時の嬉しかったこと、感激したことは、今も忘れることができません。今も、私の大切な宝物でございます。
(小津安二郎学会HPより、山本富士子のインタビュー)