ミューズの声聞こゆ

なごみと素敵を探して
In search of lovable

このたびの東日本大震災で被災された多くの皆様へ、謹んでお見舞い申し上げます。

大震災直後から、たくさんの支援を全国から賜りましたこと、職員一同心より感謝申し上げます。 また、私たちと共にあって、懸命に復興に取り組んでいらっしゃる関係者の方々に対しても厚く感謝申し上げます。

バンド・オブ・ブラザース

2019年03月01日 | シェイクスピア

 シェイクスピアの史劇「ヘンリー五世」中の「聖クリスピアンの祭日の演説」についてはローレンス・オリヴィエによる映画化版を何度か取り上げた。

男子たるもの、一生に一度くらいはこのような優れたスピーチを行なってみたいものである。

 

○シェイクスピア偽作者(別人)説を扱った「もう一人のシェイクスピア」(2011年)の劇中劇のシーンは、何度観ても鳥肌が立つ。 

 

○オリヴィエ版「ヘンリー五世」(1945年) 

フランス遠征を企てた若きイギリス王ヘンリー五世。

数倍の敵軍と対峙したアジンコート(アジャンクール)の戦いを目前に控え、敗色濃厚と意気消沈している自軍の兵士たちを、雄々しく鼓舞する。 

 

今日は10月25日、聖クリスピアンの祭日だ、
今日を生きのびて無事故郷(くに)に帰るものは、
今日のことが話題になるたびにわれ知らず胸を張り、
聖クリスピアンの名を聞くたびに誇らしく思うだろう。 

今日を生きのびて安らかな老年を迎えるものは、
その前夜祭がくるたびに近所の人々を宴に招き、
「明日は聖クリスピアンの祭日だ」と言うだろう、
そして袖をまくりあげ、古い傷あとを見せながら、
「聖クリスピアンの日に受けた傷だ」と言うだろう。

老人はもの忘れしやすい、だがほかのことはすべて忘れても、
その日に立てた手柄だけは、尾ひれをつけてまで
思いだすことだろう。

そのとき、われわれの名前は日常のあいさつのように                                                                    くり返されて親しいものとなり、
王ハリー(注:ヘンリー5世)、ベッドフォード、エクセター、ウォリック、
トールボット、ソールズベリー、グロスターなどの名は
あふれる杯を飲みほすたびに新たに記憶されるだろう。

この物語は父親から息子へと語りつがれていき、
今日から世界の終わる日まで、聖クリスピアンの祭日が
くれば必ずわれわれのことが思い出されるだろう。

少数であるとはいえ、われわれしあわせな少数は
兄弟の一団(バンド・オブ・ブラザース)だ。

なぜなら、今日私とともに血を流すものは
私の兄弟となるからだ。

いかに卑しい身分のものも今日からは貴族と同列になるのだ。

そしていま、故国イギリスでぬくぬくとベッドにつく貴族たちは、
後日、ここにいなかったわが身を呪い、われわれとともに
聖クリスピアンの祭日に戦ったものが手柄話をするたびに
男子の面目を失ったようにひけめを感じることだろう。

(小田島雄志訳:白水社版より)

 

○ケネス・ブラナーによる再映画化作品(1989年)より 

 

○BBCのTVドラマシリーズ「ホロウ・クラウン」(2012年)より 

 

○変わり種というか、おまけ。OKコラルの決闘を題材にした「トゥームストーン」(1993年)の中で、旅芸人の一座が独り芝居の演目として披露している。

これは「荒野の決闘」へのオマージュか。 

 

○「荒野の決闘」(1946年)

旅芸人を拉致したならず者のクラントン一家の元へ保安官ワイアット・アープとドク・ホリディが乗り込む。

古い持ち芸の「ハムレット」の一節を忘れてしまった彼に請われて、元歯科医のドクはセリフを続ける―。

ひょっとすると、これが僕の初めてのシェイクスピア体験かもしれない。

けれども、本当にすごいのはこの映像の最後に登場する、手のつけられない悪党のクラントン老(ウォルター・ブレナン)だ。

ワイアットの前で不甲斐なく両手を上げた息子たちをムチで散々殴りつけて言う、

「銃を抜いたら、必ず殺せ。」 

 

 明日は休みを取って松坂桃李主演の「ヘンリー五世」を観に行く。

自分でも意外だが、初めて日本語で「聖クリスピアンの祭日の演説」を聞くことになる。

 

 

 

 

 

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マクベス

2018年02月19日 | シェイクスピア

 私は生前の父が眠っているところを見たことがなかった。

私が朝起きた時にはもうすでに事務所でデスクワークに取り掛かっている。

深夜、勉強を終えて部屋から出て行くと、たいていの場合、書斎で古い映画を観ているか、事務所に明かりが灯っているかのどちらかだった。

一度直接尋ねたことがある、パパは眠くないのかと。

いや、眠いよ、と父は苦笑いしながら答えた。

「若いころに仕事でひどくくやしい思いをしてね、その時どこかが、あるいはなにかが壊れたのだろう、それ以来眠れなくなったのだよ。『マクベスは眠りを殺した!』かな。」

好きなシェイクスピアの台詞を引用しておどけてみせ、それ以上の詳しい内容は話してくれなかったけれど、そういえば時々言っていたことがあった。

「男の性根はよほどのことがないと直らない。たとえば、穴を掘り自分で土をかけて埋まってしまいたいと思うくらい恥ずかしい目に遭ったり、腹の中が燃えるくらいくやしい思いをしないと。」

そんな思いをしたのだろうか。

 ある日、夕食の準備が整ったので父を呼びに居間へ行ってみると、額に手を置いてソファに長々と横になっていた。

私はふざけて声を掛けた。

「マクベスさん、夕食ですよ。」

父はむっくり起き上がると唐突に口を開いた。

「『もはや眠るな、マクベスは眠りを殺した』と叫ぶ声を聞いた気がする

 無垢の眠り、
 気苦労のもつれた糸をほぐして編むのが眠り
 眠りは、日々の生活のなかの死、

 労働の痛みを癒す入浴、

 傷ついた心の軟膏(なんこう)、

 自然から賜ったご馳走、

 人生の饗宴の主たる栄養源だ。」

つかえずに台詞を言えて気をよくしたのだろう、最後にニッと笑った。

いつも働きづめで、こんなに疲れているのに、私のような小娘の冗談にもしっかりつき合うなんて。

切なくなって顔を引きつらせていると、父は心配そうに、面白くなかった?と私の目をのぞき込んだ。

 

オーソン・ウエルズ版「マクベス」(1948年)より

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記念日

2017年03月27日 | シェイクスピア

  3月15日、グループホームぽらん気仙沼が11周年を、社会福祉法人千香会さんのグループホームぽらんが12周年を、それぞれ迎えた。
一日も途切れることなく、ひとり夜勤をつないできた職員たちの地道な努力があってこその、毎年の記念日だ。





  フランス遠征を企てた若きイギリス王ヘンリー五世。
数倍の敵軍と対峙したアジンコート(アジャンクール)の戦いを目前に控え、敗色濃厚と意気消沈している自軍の兵士たちを、雄々しく鼓舞する。

今日は10月25日、聖クリスピアンの祭日だ、
今日を生きのびて無事故郷(くに)に帰るものは、
今日のことが話題になるたびにわれ知らず胸を張り、
聖クリスピアンの名を聞くたびに誇らしく思うだろう。

今日を生きのびて安らかな老年を迎えるものは、
その前夜祭がくるたびに近所の人々を宴に招き、
「明日は聖クリスピアンの祭日だ」と言うだろう、
そして袖をまくりあげ、古い傷あとを見せながら、
「聖クリスピアンの日に受けた傷だ」と言うだろう。

老人はもの忘れしやすい、だがほかのことはすべて忘れても、
その日に立てた手柄だけは、尾ひれをつけてまで
思いだすことだろう。
そのとき、われわれの名前は日常のあいさつのように
くり返されて親しいものとなり、
王ハリー(注:ヘンリー5世)、ベッドフォード、エクセター、ウォリック、
トールボット、ソールズベリー、グロスターなどの名は
あふれる杯を飲みほすたびに新たに記憶されるだろう。

この物語は父親から息子へと語りつがれていき、
今日から世界の終わる日まで、聖クリスピアンの祭日が
くれば必ずわれわれのことが思い出されるだろう。

少数であるとはいえ、われわれしあわせな少数は
兄弟の一団(バンド・オブ・ブラザース)だ。
なぜなら、今日私とともに血を流すものは
私の兄弟となるからだ。
いかに卑しい身分のものも今日からは貴族と同列になるのだ。
そしていま、故国イギリスでぬくぬくとベッドにつく貴族たちは、
後日、ここにいなかったわが身を呪い、われわれとともに
聖クリスピアンの祭日に戦ったものが手柄話をするたびに
男子の面目を失ったようにひけめを感じることだろう。

             「ヘンリー五世」ウイリアム・シェイクスピア
                   (小田島雄志訳:白水社版より)



               


               

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真夜中の鐘

2017年03月06日 | シェイクスピア

サー・ジョン・フォルスタッフ:われわれはかつて真夜中の鐘を聞いたものですな、シャロー君。(シェイクスピア作「ヘンリー四世第二部」より)

 「荒野の七人」をリメイクした「マグニフィセント・セブン」は、予想に反してそこそこ楽しめた。
たぶん、作りが雑なせいだと思う。それでかえって気楽に観れた。 
無謀な戦いにあっさり加わるメンバーの動機づけの弱さに、おいおい、大丈夫か、これじゃあ大津波でも来たら我先にと逃げ出されるぞ、と内心ツッコミを入れたりしたが、物語は淡々と進み、あっさり終わった。
 イーサン・ホークが「荒野」のロバート・ボーンとブラッド・デクスターを受け継いだキャラクターで、ボーンと同じPTSD。
この二重写しの苦悩に、暗闇で泣けた。
「恋人までの距離(ディスタンス)」三部作に主演しているホークは脚本や小説も書くうえ監督までこなす異才だ。
またシェイクスピア作品を現代に置き換えた「ハムレット」(2000年)と「アナーキー」(2014年、原作は「シンべリン」)にも主演している。

 劇中、旧知の仲という設定のホークと七人のリーダーのデンゼル・ワシントンが再会するシーン、ハグして言い放つのが、冒頭に掲げた台詞である。
ひょっとすると、ホークの台詞は自分で書いたのかもしれないな、と思った。










          

                 「オーソン・ウエルズのフォルスタッフ」(1966年)より

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建物

2016年08月29日 | シェイクスピア

 父親が60代にさしかかるころから時々、オレはあと何台車に乗れるのかな、と口にしていた。
あの年代にとっては、あと何回買い替える事があるのか、イコール、何回グレードアップできるのか、という意味を含んでいる。
そのたび僕は、自分で稼いだお金だし、一生は一回なのだから、気の済むように欲しいものを買ったらいいじゃない、と言ってきた。
 僕自身はというと、車については好き勝手にしてきたので何の悔いもなく、最後はアストン・マーチン(ボンドカー)かもね、と大きな独り言を口にしては、家族を震え上がらせている。
 父親と同じように思うのは、建物だ。
事情があって20代後半から建築業界に身を投じ、さまざまな建物を手がけた。
明らかに失敗作もあったし、意に沿わないものも作った。
この業界に転じてからも、大小各種施設を建設してきた。
震災もあってその期間が通常より長く続いたが、それも終わりに来ている。
あといくつ、建物を作ることができるのかな。
またひとつ、親の気持ちが分かった気がする。


「大草原の小さな家」の、いわゆるワンルーム・チャーチ(教会兼学校)


ケアプランセンターぽらん(流失前)


シェイクスピアが座付き作家だったグローブ座(ペーパークラフト)


映画「摩天楼」

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