当て職の肩書の関係で、弘前市で開催される学会へ出席することになった。
半年ほど前にあちらにいる法人職員OGから近況報告のメールをいただいていたのを思い出し、弘前名物と言われるレトロなカフェのどれかへ案内してくれないかと依頼したところ、少し間があってあまり気乗りしないような雰囲気の、それでも承知したとの返信があった。
どうもしくじったかな、と思っていたのだが、その理由は当日明らかになった。
指定されたお店の入り口までたどり着いたその時、見覚えのある軽自動車が駐車スペースに停まり、当のOGが下りてきた。
それが、右足を引きずっており、マスクを着けた小さな顔の左側がはれ上がっている。
お久しぶりです、こんなありさまですみません、と頭を下げた彼女は大儀そうに店内に入り、席に着いた。
驚きを隠せないでいた僕は思わず尋ねてしまった。
ねえ、きみ、それまさかDVじゃないよね?
メニュー表から顔を上げた彼女はやっと笑顔を見せた。
「相手もいないのに?」
弘前に戻って間もなく感じ始めていた体の違和感が日に日に大きくなり、受診したところ、リューマチの症状によく似た血液の病気と判明したという。
あごは顎関節症が進んでひびが入ったそう。
そういうわけで、こちらで見つけた仕事も辞めざるをえず、両親と子供たちと、ひっそり暮らしています。情けなくて、と彼女は大粒の涙をこぼした。
照る日もあれば曇る日もある、土砂降りの日だって。でも、全体的に晴れの日が多ければオーケーなので、そうなるよう心がけて行こうよ。大丈夫だから。
「理事長の大丈夫だから、を久しぶりにいただきました。何の根拠もないのに、相変わらずほっとします。」
マスクの上のまなざしがいくぶん和らいだ。
ちょっと顔を直してきます。
ゆっくり慎重に立ちあがると彼女は化粧室へ消えて行った。
僕は財布に入っていた札を全部取り出し、二つ折りにして手早くイスの上の彼女のバッグへ深く押し込んだ。化粧ポーチを戻しても気づかれないように。
カウンターの中の店員と目が合ってしまったので、照れ隠しに言った。
「こちらの支払いはカード使えますよね?」
「もちろんです。」
店のドアを開け、車のドアを開けてOGを帰路につかせた僕は大きく背伸びした。
旅費も尽きたし、さあ、けせもい市に帰るか、学会なんぞサボって。