この本は
妻に先立たれた評論家・川本三郎氏(78)の追想記『今も君を想う』。なれそめ、日常、闘病、葬儀、妻あっての35年間を繊細で確かな文章に魅了されて読む。新聞(昨年12/21朝日)の著者の寄稿『思い出して生きること』が強く心に残っていたので図書館で見つけた時に嬉しかった。夏にママヨさんがコロナに罹患し後遺症が長く続いたこともその理由だ。1ヶ月半近くの家事は苦にならなかったが、なにげなく過ぎていた日常がかけがいの無い幸福であり、一人で食事するわびしさや不安のことを今までになく感じた夏だった。
妻に先立たれた夫
城山三郎(享年80)、江藤淳(享年67)、西部邁(享年78)などが頭に浮かぶ。川本三郎も含め社会的に華々しく活躍し功なり遂げた男たちだが、妻亡き後の人生は悲しく、後の2人は自死している。「自分の方が確実に先に逝く、と考えていた・・・・・ぼくが妻に先立たれたとしたらどういうふうになるのだろうか。そういう思いはたちまちうろたえるほど恐ろしい」と椎名誠(78)が3年前発行の『遺言未満、』で言っている。思い通りに楽しく元気に生きていると思っていた作家にしてこれだ。波風氏だって、もし7年(71歳の誕生日が今月)生きることになったら、こういう不安を持ち続けて暮らすことになるのだろうか。
言葉を職業
とする者の老い先は、なんて因果であり幸福なんだろうとも思う。『そうか、もう君はいないのか』は城山の妻に関するエッセ-を娘が集めて再編集したもので、終世純愛の綴りだが城山死後にしても「ここまで露わにしてよいのかな?」と感ずるのもある。川本は文学や映画の評論家だが「妻に先立たれた男」分野の第一人者作家かと思わせる。因果というのは妻の死を商売の糧にすることであり、幸福とは言葉で妻の思い出を汲み上げ宝物とし磨き続け、さらに読者にもその宝物を与え続けてくれることだ。「先立たれる男」は、高齢化多死社会の加速とともにしばらく繁盛する作品テーマなのだろう。
還暦時に健康寿命75歳と想定。前から『72歳』以後はオマケ人生だと思っているので、72~75歳までに「思い通りに暮らせる身体と好奇心と習慣」を得て「あっと自分でも驚く」ことしたいがムリかなあ 週に3回、リュック背負って歩いて用事すると週平均6000歩越える。登りの坂道は骨盤の位置と上下脚の裏側を意識すると疲れないよ『毎月新聞』(中公文庫)おもしろい、さすが佐藤雅彦、脳の使っていない部分を刺激。『言葉を植えた人』(亜紀書房)すごい、やっぱり若松英輔、言葉と芸術(彫刻、染色、)の関係を納得づくで教えてくれる 先月末の読書交流会、参加者3人で1時間厳守だったから本の交流せず、「困っている時にどうされたいか、困っている人にどう接するか」の意見交流。なるほどなあ、を実感。