新聞の文芸時評(1/29朝日新聞)に、偉大な世界文学だと『コンビニ人間』(村田沙耶香著)が取り上げられていてホーッと思った。去年夏の読書会で話題になり、その後、波風氏含めて参加者全員が読んだ本だった。読書会最初の「これは読んでみたい本」第1号なのだ。
時評では「日本が舞台でも、無媒介的に〈人間〉そのものを掴み取っている・・・・・そんなことが出来る作家は他に知らない。彼女が書いているのは〈偉大なる世界文学〉だ。」と小野正嗣氏。この方は、NHK日曜美術館の司会をされている小説家だが、テレビ(NHK「100分de名著」)で『燃え上がる緑の樹』の解説をされ、この方の書いたNHK出版のテキストが手元に無ければ読み通すことは無理だったと思う。難解なことを親切に説明してくれたから、この方の本も「いつか時間が出来たら」読みたいと思っていた。
家族3人で時評を読み、そこにあった『無媒介的』というが話題になった。直接的でないという解釈で決着したが、3人とも『コンビニ~』を読んでいたから珍しく高尚な会話になったのだろう。
この時評に、「(作者の偉大さは)一度は感じたはずの社会や他者や自己への疑念をちょっぴり増幅させた不思議な人物たちを通して、誰にでも届くシンプルな言葉で、現実の見え方を変えてくれる」ことだ、とあった。そうか、登場人物に感じ続けた違和感は、自分自身が前から持っている「疑念」を引っ張り出された不安と怖れで、読み進める中で登場人物が自分を肯定し常に堂々としていることに驚ろき続けたのを思い出した。読後、「マニュアル通りに仕事できる誇りの自分が悪い、全体を動かす一部品としての役割の何が悪い」と思った。だから、「平成時代の典型的な人間像を描いている」みたいな作品評には合点していたが、この作品だけではまだ〈偉大なる世界文学〉に連なるとは思えない。
この小説を読んで、笑ったことは覚えている。そこは、全く笑えなかった世界的文学の『燃え上がる~』と違う。あの時の笑いは、とても説明しずらいのだが、薄々気づいているが口に出すのは恥ずかしいところを笑い飛ばすまでにはいかず、そうかといって見て見ない振りも出来ない感じに近い気がする。。
見たかった映画『新聞記者』、賃料500円払って見る。現実政治は抜群に面白い表現材料になるのだ、と思った。