波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

言葉のケイコ【その参拾参】

2020年05月12日 | 【保管】言葉のケイコ


蜘蛛の糸はなぜ切れた


川龍之介の『蜘蛛の糸』。私が国語を教えていた頃、授業で扱うと必ず子どもたちにしていた質問。生前、盗み殺しなんでもありの大罪人のカンダタは、たった一度一匹の蜘蛛を助けたことで地獄から這い上がるチャンスを与えられる。それこそが釈迦が垂らした一本の蜘蛛の糸。何万里ものはるか上には極楽浄土。それを上るカンダタ。だが蜘蛛の糸は、途中で切れてしまう。私は、問う。「蜘蛛の糸はなぜ切れた?」と。子どもたちは実に様々な意見をくれた。「お釈迦様が愛想をつかせて切った」「自分だけ助かろうと思ったから、極楽にふさわしくないとなって自然と切れた」「蜘蛛がカンダタを見限って切った」など。糸が切れる直前のカンダタの思考と言動は、とても単純だ。自分以外のものを排除して自分だけ助かろうとする。なぜ自分に蜘蛛の糸が垂らされたかなど考えもしない。とにかく目の前にぶら下がった糸を上って極楽に行きたい。そしてその糸は自分だけのものだと信じた。自分だけが救われるべきだと。


「蜘蛛の糸はなぜ切れた?」という問いに、大人ならなんと答えるだろう。この問いは裏返せば、「どうすれば蜘蛛の糸は切れなかったのか」。私たち大人が子どもたちに指し示すべき答えは、こちらではないか。そしてその答えにこそ、私たちの日常と大切な人たちを守るヒントがあるのではないか。私たちが真に「蜘蛛の糸」の意味に気づくことは、難しくはないと思うのだけれど。


公式裏ブログを『もの凄くカッコ悪い人』で更新。検察官僚定年延期は、自分を助けるため自分が糸を垂らして自分が這い上るという実に馬鹿馬鹿しい実話だが、寓話のように是非とも糸が切れて欲しい 波風新聞7号の作成開始。特集は今年度の開店計画。新作ウドン含め今月の読書交流会『ほんのおつきあい』は、5月31日(日)14:00~暖かければ波風食堂で。詳しくは後日ご連絡。デジタル版の読書交流記録は近日中UP。懐かしい方のご参加も。

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