加齢なる人生
年齢について話す時の「アラ○○」という表現が市民権を得てから14年ほど経過するらしい。初出は女性雑誌での「アラサー」で、必ずしも四捨五入してどちらか、というわけでもなく、±2歳を指す場合もあるとのこと。前者の定義であれば私はアラフォーになる。業界的にはまだ若手なのだが、そろそろ自分の年齢を自覚しながら生活すべきだと感じている。
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新型コロナウイルスが猛威を振るっている。調子の悪い人は無理せず休息を、という注意喚起に対するTwitterの投稿で「おっさんは常にどこかしら調子が悪いので気付かないのだ」に納得。そういえば朝起きた時に常にどこかが痛いし、気分爽快で元気ハツラツ(この表現もおっさんだ)という事は近年記憶にない。全く無意識に過ごしていたが、若かりし頃の好調は過去のものであったらしい。
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最近、仕事中の話しの流れで「私は年相応に見えますか」と27歳の女性に聞かれ大変緊張した。社会人としてそれなりに見えるかという趣旨なのだが、どのような言葉を発してもセクハラになるのではと不安になった。何かを勘違いしないように発言に気を遣うお年頃ということでもある。「中年になったら、若者に対する接近欲求に対して自制が必要」これも同業の方のTwitterから。気を付けよう。若者ではなく、そろそろ親と自分の健康の心配にシフトしようと、そっと心に誓うのであった。
【波風氏談】息子と同年齢のコメさん、彼もこんなふうに感じているのかなあと思った 『コメの学習帳』は来月いっぱいで終了し、残り5回となります。