スティーブ@茅ヶ崎さんからの投稿です。
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さて翌日は快晴になりましたのでヴィクトリアピークに登ることにしました。ホテルからピークの駅までは歩いて10分くらいの距離ですから誠に便利です。途中にある香港公園の緑の中を優雅に通り抜けてしばらく歩きます。すがすがしい朝です。
ここからピークトラムに乗って山頂の駅まで約20分ほどの行程です。ピークトラムは1888年に出来ましたが、初期の幼稚なものから現在はコンピューター制御の近代的なトラムへと変わってきました。そもそもは植民地にやって来た英国人達が、蒸し暑くてたまらないので避暑地として山頂に別荘を構えたので使用したものです。
実は私は以前はこの途中のミッドレベルという高級アパート地区に住んでいた事がありますから、次つぎに現われる風景は懐かしいものばかりです。当時は自家用車を運転しておりましたが、たまに気分転換にこの急な坂道を歩いて出勤、帰宅したことがありましたがえらいシンドイ思いをしました。
ピークまで山の勾配を気にもしないで数多くアパートが築かれ、それがさらに立て替えられて現在の超高層で高級なアパート地区になりました。アパートは上に行けば行くほど眺めがよくなるので絶景の分お値段は高くなります。
上流家庭の奥様はさぞ買い物など大変と思われるかもしれませんが、実は香港は女性の社会進出が大変進んでおりまして、普段は奥様がたの多くは働いていて買い物や食事、育児はアマさん(住込みのメイド)の仕事です。
香港にはフィリピンから数万人の女性がメイドとして就労ビザを取って出稼ぎにきておりほとんどが住込み(月5~10万円)です。
私の住んでいたアパートは香港で最初にエレベーターがついたという建物で古いのですが、昔のアパートですからかなり広い間取り(160平米くらい、4LDK)で女中部屋がありました。
私は単身ですからもちろん住込みのメイドは禁じられていて通いのメイドでしたが、掃除、洗濯、アイロンなどで週2回で月3万円でしたがかなり助かりました。
さてピークからの眺めですが、大変壮大なランドスケープです。
このヴィクトリア・ハーバーを巡ってアヘン戦争が勃発し、海賊のような英国商人達が暗躍し後には日本 軍が占領し強奪の限りを尽くしたと言われ、戦後も波乱の植民地時代が続きました。
その中から李嘉誠などの大華僑が活躍して今日の発展を築いてきた、その光景が目 の前に広がっています。
因みに香港のピークからの夜景を「百万ドルの夜景」と言いますが、これは神戸の百万ドルの夜景という言い方を倣ったようです。
香港はドルでも香港ドルで為替の交換レートが異なり香港ドルの百万ドルは大したことはありません。
それで神戸が百万ドルの夜景と言われたのは1953年頃です。
当時は六甲山から見わたす夜景、つまり神戸や芦屋、尼崎などの1ヶ月の電気代が当時で100万ドルくらいだったのでそのように命名されたそうです。現在なら1000万ドルだそうですが。
しかしこの眺めで推し量る限り、私が住んでいた15年前ころに比べてもはるかに発展しています。現在が香港の繁栄の極みでしょうが、今後も更に発展するでしょう。日本とは異なり規制が自由ですし、バイタリティがあります。
重慶マンション
しかし、その発展という光の影で昔の香港らしい風景が次々に消滅しようとしています。ピークの後で訪問したチムサアチョイを縦に走るネイザン・ロード。このきらびやかな通りにひときわ汚くて、場違いなビルがありますが、それが重慶マンションです。過去幾多の貧乏トラベラーにとってこのホテルの超低宿泊料金はまさに救いの神でした。しかしこの安ホテルも近い将来取り壊されて近代的なビルに建て替えられるそうです。
この看板もやがて・・・
さらにネイザンロードにある有名で香港の象徴の一つでもあるきらびやかな看板もかなり減少しています。ですから数年のうちにゴールデンマイルと言われて繁栄を続けている彌敦道(ネイザンロード)からは昔風のあの執拗にまで存在感を見せる看板は姿を消す可能性があります。今回はこの光景を目に焼き付けてきました。ペニンシュラホテルのアフタヌーン・ティーは相変わらず日本人客で賑わっていましたが。
これが今の香港
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ご投稿ありがとうございました!