現代の冬は、雪国と言っても道路は除雪され、スーパーには多くの車がやってきて、豊富な食材や日用品が並んで大量の買い物も車が運んでくれます。その意味では、大抵の場合、自宅の敷地やその周辺の除雪だけを考えていればよく、除雪機が導入されてからは冬の暮らしはわりに楽になっています。では、今から60〜65年前、高度成長が始まる前の1960〜65年頃の雪国の暮らしはどうだったか。このあたりならば、私はまだ小学校中〜高学年で、かろうじて記憶があります。
自宅敷地内の除雪は完全に人力でした。雪かきと言って、人が通れるくらいの道をつけるくらいで、そもそも父が自家用トラックを導入する前は除雪というものをしなかった。除雪の手段としてはスコップが主役で、後にスノーダンプが加わりました。どさっと雪が降れば家族総出で除雪をしますが、当時はまだ茅葺屋根でしたので大雪の年には屋根に上がって雪下ろしをする必要がありました。屋根に積もったたくさんの雪をドサドサと降ろしますから、 うずたかい落雪の処理が大変です。夜の寒さで固くなる前にスコップで崩し、スノーダンプで運んで積み上げて踏み固めます。隣家との境の生垣の前に高い雪の壁ができるほどで、一日がかりの重労働でした。
当時は、まだスーパーなどは進出していませんでしたので、地域の商店、鮮魚店や八百屋、酒屋などが買い物の中心でした。米と味噌、野菜、漬物などはたっぷり貯蔵がありましたし、乾麺、缶詰、干し魚なども買い置きしていたようです。暖房は囲炉裏のほか、室内は掘りコタツ、火鉢が中心で、中学生になって石油ストーブを使うようになったと記憶しています。夜は掘りコタツの周りに布団を並べて寝ますので足元がポカポカ暖かく、あまり寒かった記憶はありません。
食事は寒さが厳しいために熱々の煮物、鍋物が多かった印象があり、また今よりも缶詰の利用がずっと多かったと感じます。これは、コールドチェーン(*1)網が整備される前の時代ですから田舎では新鮮な魚や肉類を入手するのが難しく、とくに動物性タンパク質を缶詰類に頼っていた面があったのでしょう。このあたりは、現代でも「ひっぱりうどん」にサバ缶が使われるあたりに影響が残っているようです。
道路は、バスが通れるようにブルで除雪されていました。除雪直後はツルツルの雪面が残り、やんちゃ坊主たちはわざと滑って遊んでいたものです。バスはタイヤチェーンを巻いてチャリチャリと音を立てながら走っていました。当然のことながら時刻は当てにならず、やむを得ない用事で外出した時は、まだかまだかと寒さにふるえながらバスを待っているのでした。自家用車で移動できる現代では考えられない、「移動の自由」ならぬ「移動の不自由」です。田舎でマイカーが普及した背景には、こうした広汎な不自由体験があったからだろうと想像しています。
(*1): コールドチェーン〜Wikipedia より