
ブラームスのピアノソナタをまじめに(?)聞いたのは初めてかもしれません。この1週間ずっと通勤の音楽で聞いていました。今朝は早朝から河川清掃のボランティアがあり、帰宅・朝食後にシャワーを浴び、ゆっくりとこの曲を聞いています。演奏はブルーノ・レオナルド・ゲルバーで、1992年にオランダのライデンにあるスタッツヘホールザールでデジタル録音された、DENONのCD(COCO-70533)です。
第1楽章、アレグロ・マエストーソ。ピアノの重低音と、鐘の音を模したかのような強い第1主題の印象が圧倒的な音楽です。
第2楽章、アンダンテ・エスプレッシーヴォ。静かだが文字通りエスプレッシーヴォな、沈潜する音楽。
第3楽章、スケルツォ、アレグロ・エネルジコ。短いが、下降する音型がきらめく光のよう。
第4楽章、インテルメッツォ、「回想」、アンダンテ・モルト。短い楽章ですが、ところどころに、えっ、今の、なんか不協和音と違う?と思うような箇所がある。
第5楽章、フィナーレ、アレグロ・モデラート・マ・ルパート。とにかくすごいテクニックを要求される音楽みたい。
急ー緩ー急ー緩ー急、という楽章構成になっているようで、名前はピアノソナタという範疇に入るようですが、モーツァルトやベートーヴェンの時代のピアノソナタとはずいぶん受ける印象が違います。やっぱりリストやワーグナーの同時代の音楽という感じです。これだけピアノの低音を響かせた、迫力のある演奏を要求するのは、ピアノという楽器の性能や表現力が格段に向上していたからでしょう。
作曲された1853年は、熱力学の第二法則とかベッセマーの旋回式弾丸が発見・発明された年というよりも、日本で言えばもう明治維新が目前の頃。産業革命を経て鋼鉄が大量に生産され、鉄道が普及し軍艦や大砲が鋳造されていた時代です。フレームもピアノ線の質も、劇的に改善されていたのではないか。迫力ある強靭な低音の上に、つぶやくように展開されるエスプレッシーヴォな響きから、理系人間はそんなことを考えます。
R.シューマンにより、「新しい道」と劇的に紹介されたブラームスは、どうして以後ピアノソナタを書かなかったのか。もう三曲も書いちゃったから?シューマンより多く書くのは義理が立たない?クララ・シューマンに怒られる?別の方面に作曲意欲を燃やしていたから?
職場に演奏経験のある同僚がいて、ブラームスのソナタのことを「えれぇ難しい」「なんでこんなとこでこんな跳躍をするんだよ!と思っちゃう」と言っていました。私は技術的なことは皆目わかりませんが、「へー、そうなのか」と妙な納得。依然としてたくさん謎なブラームスです。でも、録音も素晴らしく、聴き込むほどに味のあるブラームスの音楽です。併録されている「ヘンデル・ヴァリエーション」も素晴らしいが、これはまた別の機会に。
参考までに、演奏データを。
■ブルーノ・レオナルド・ゲルバー(Pf)
I=9'44" II=11'27" III=4'12" IV=3'12" V=6'58" total=35'33"