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電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

森清『仕事術』を読む

2007年03月16日 20時14分31秒 | -ノンフィクション
岩波新書で、森清『仕事術』を再読了しました。第I部が「公私融合の勤労」、第II部が「仕事術」からなります。

公私融合の勤労とは、SOHOで働く人のようにそれが可能な(やりやすい)人と、そうでない人といるのではないでしょうか。その意味で、本書の前半は、普遍性のある、一般的な議論とは言いにくいように思います。たとえば、多くの医師は、趣味に生きる時間にも呼び出しがあれば駆けつけなければならない。同様に、手術中に趣味を求めることは御法度でしょう。警察官も、勤務中に趣味のパチンコをするわけにはいかない。公私融合で働ける(働きやすい)人とそうでない人と、二通りいるのだと思います。

しかし、後半の第II部「仕事術」、電子社会における仕事術は、参考になる内容が多いです。内容は、次のような章立てになっています。

第3章 手の技術
第4章 縁の技術
第5章 知の技術
第6章 育む技術
終章 創造的な仕事術

この中で、第3章「手の技術」が興味深いものがあります。新人の金型技術者たちが、自分たちの必要性から、独習書を作ります。従来、「技は盗むもの」と言われ、職人は先輩を見習うことで技を覚えてきました。宮大工の西岡常一氏のもとに弟子入りした小川三夫氏が、時間をかけ、師匠の生活を一体となることにより、匠の技を受け継ぎます。しかし、仕事をして見せることができなくなった最晩年に力を尽くしたのは、話をする(口伝)ことであり、ひたむきに図面を引くことでした。ここには、技術を受け継ぐために必要なものは何か、というポイントがあるように思います。

体で覚えるということは、知力を不要とし、考えさせなくするためではない。基本の動作を通じて道具に注意を向けさせ、次に作業の対象に注意を向けさせ、「なぜ・どうずれば」という知的作業を体験させていくことだ、と著者はいいます。高学歴者の方が、工夫をする力、作業の法則性を理解する力に富み、結果的に成長が早いとの指摘は、現代の技術者の採用状況を端的に表しているようです。

また、マニュアルは現代の基本的な道具であること、熟練とは、技術の修練であると同時に、マニュアルの内容がすっかり身についた状態を指す、という指摘はきわめて重要なものであると思います。

「マニュアルはわかりにくい」「マニュアルは悪である」という決まりきった耳タコなセリフは、実はマニュアルを作っている出版・印刷業界が、もう一つの「わかりやすい解説書」という需要を作り出すために行っているキャンペーンの面もあったのではないかとさえ感じます。

第4章以下も、有益な分析が多く、興味深いものです。SOHO的仕事スタイルとは縁遠い組織人にも、なるほどと頷ける点が多くありました。
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