だいぶ昔の話ですが、高校に入学したての頃、進路希望調査というのがあり、将来の職業というらんに記入するようになっていました。たしか、雑誌の編集者か、自然科学者と書いたような気がします。担任から、理系と文系に分かれるので、どちらか一つを選べ、と言われ、より好きそうな理系を選んだために、以後、雑誌の編集者にはなれませんでした。
ですが、不思議なもので、現在私が継続しているこの「電網郊外散歩道」というブログは、まぁ一種の雑誌のようなものです。写真もけっこう入っていますので、総合雑誌ではなくグラビア雑誌に近いかもしれません。
音楽・読書・コンピュータ・散歩・週末農業など田舎暮らしというジャンルは、さしずめ団塊中高年のちょい下くらいの年代の共通項かもしれません。これらに関するエッセイふうの文章を書き、デジカメ写真を掲載する、これは高校生の頃に憧れていた「雑誌の編集」そのものです。違うのは、経営のための経済的苦労や、広告のために筆を曲げる必要がないことくらいでしょうか。

ブログ記事を継続して三年目も半ばを過ぎ、理系の固い文章も少しはほぐれて来たでしょうか。近頃、文筆に目覚めたような気がします。べつに、文筆家として立とうとか、そんな大それたことではなく、写真と文章で、なにがしかの継続ができそうだ、という見通しができるようになった、ということです。Weblogという形式が、自分の性分にあっているという気がします。高校生の頃の進路希望は、案外自分自身をよくとらえていたのかもしれません。
写真は、先日購入して妻への土産にした胡蝶蘭です。人工的ですが、造花ではありません。きれいな花ですね。
ですが、不思議なもので、現在私が継続しているこの「電網郊外散歩道」というブログは、まぁ一種の雑誌のようなものです。写真もけっこう入っていますので、総合雑誌ではなくグラビア雑誌に近いかもしれません。
音楽・読書・コンピュータ・散歩・週末農業など田舎暮らしというジャンルは、さしずめ団塊中高年のちょい下くらいの年代の共通項かもしれません。これらに関するエッセイふうの文章を書き、デジカメ写真を掲載する、これは高校生の頃に憧れていた「雑誌の編集」そのものです。違うのは、経営のための経済的苦労や、広告のために筆を曲げる必要がないことくらいでしょうか。

ブログ記事を継続して三年目も半ばを過ぎ、理系の固い文章も少しはほぐれて来たでしょうか。近頃、文筆に目覚めたような気がします。べつに、文筆家として立とうとか、そんな大それたことではなく、写真と文章で、なにがしかの継続ができそうだ、という見通しができるようになった、ということです。Weblogという形式が、自分の性分にあっているという気がします。高校生の頃の進路希望は、案外自分自身をよくとらえていたのかもしれません。
写真は、先日購入して妻への土産にした胡蝶蘭です。人工的ですが、造花ではありません。きれいな花ですね。