ドヴォルザークの「スラブ舞曲」は、なにかと取り出すことの多い、大好きな音楽の一つです。当方は、昔のLDの、映像付のコシュラー指揮チェコフィルのものと、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の録音などを好んで聴いております。
ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏する「スラブ舞曲」は、ごく初期のレーザーディスクです。たぶん、1980年代の初めに発売されたもので、映像はプラハの街並みや郊外風景、あるいはガラス工芸や楽器製作などの様子を撮影したもの。ちょうど、「名曲アルバム」が16曲分ずっと続いているような調子です。CXノイズリダクションをONにすると、けっこういい音で聴くことができます。曲間は楽譜を映像で示すことによって充分な間を取り、ゆったりと聴くことができます。コシュラーの指揮ぶりは丁寧なもので、音楽も親しみ深く躍動的なものになっています。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏は、しょっぱなの「ジャーン」からして、切れ味がまるで違います。現代オーケストラによる演奏として、機能的には極北に位置する名演でありましょう。にもかかわらず、'70年の日本公演でもアンコールで取り上げたり、あるいはEMIのドヴォルザークの交響曲第8番の録音にフィルアップした第8番や第10番のように、生活を愛おしむような懐かしさを感じさせるあたたかさも併せ持っています。
たとえば第10番を聴くというのは、ふと読みかけの文庫本を手にしたのが藤沢周平の『小説の周辺』で、たまたま開いた所が「再会」だったりすると、なんだかじんとしてしまうような、そんな気分。
クーベリックが「スラブ舞曲」の録音を出すことになったとき、レコード会社が昆虫のデザインのジャケットを提案したのだそうです。ドヴォルザーク=田舎=昆虫、というイメージでしょうか。そうしたら、クーベリックは怒って、発売を許可しなかったのだそうです。ドヴォルザークはもっとまじめな音楽だ!ということなのでしょう。たしかに、現在出ている録音では、昆虫のデザインのジャケットではありません(^o^)/
自宅の Ubuntu Linux パソコン中に、RhythmBox で取り込み、小型のスピーカで聴いたり、通勤の車のカーステレオでCDを聴いたり、気が向いて修理したLDプレイヤーで映像とともに楽しんだり、あるいは休日に自宅のステレオ装置でかなり大きな音量でCDを何度も繰り返し聴いても、その都度に懐かしくあたたかい気分にさせてくれる、そんな音楽です。
ズデニェク・コシュラー指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏する「スラブ舞曲」は、ごく初期のレーザーディスクです。たぶん、1980年代の初めに発売されたもので、映像はプラハの街並みや郊外風景、あるいはガラス工芸や楽器製作などの様子を撮影したもの。ちょうど、「名曲アルバム」が16曲分ずっと続いているような調子です。CXノイズリダクションをONにすると、けっこういい音で聴くことができます。曲間は楽譜を映像で示すことによって充分な間を取り、ゆったりと聴くことができます。コシュラーの指揮ぶりは丁寧なもので、音楽も親しみ深く躍動的なものになっています。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏は、しょっぱなの「ジャーン」からして、切れ味がまるで違います。現代オーケストラによる演奏として、機能的には極北に位置する名演でありましょう。にもかかわらず、'70年の日本公演でもアンコールで取り上げたり、あるいはEMIのドヴォルザークの交響曲第8番の録音にフィルアップした第8番や第10番のように、生活を愛おしむような懐かしさを感じさせるあたたかさも併せ持っています。
たとえば第10番を聴くというのは、ふと読みかけの文庫本を手にしたのが藤沢周平の『小説の周辺』で、たまたま開いた所が「再会」だったりすると、なんだかじんとしてしまうような、そんな気分。
クーベリックが「スラブ舞曲」の録音を出すことになったとき、レコード会社が昆虫のデザインのジャケットを提案したのだそうです。ドヴォルザーク=田舎=昆虫、というイメージでしょうか。そうしたら、クーベリックは怒って、発売を許可しなかったのだそうです。ドヴォルザークはもっとまじめな音楽だ!ということなのでしょう。たしかに、現在出ている録音では、昆虫のデザインのジャケットではありません(^o^)/
自宅の Ubuntu Linux パソコン中に、RhythmBox で取り込み、小型のスピーカで聴いたり、通勤の車のカーステレオでCDを聴いたり、気が向いて修理したLDプレイヤーで映像とともに楽しんだり、あるいは休日に自宅のステレオ装置でかなり大きな音量でCDを何度も繰り返し聴いても、その都度に懐かしくあたたかい気分にさせてくれる、そんな音楽です。