電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

モーツァルト「ホルン協奏曲第1番」を聴く

2009年10月26日 06時20分11秒 | -協奏曲
モーツァルトには、さまざまな管楽器のための協奏曲がありますが、ホルン協奏曲にはどれもユーモアと楽しさがあると感じます。とくに、この第1番、ニ長調。

好んで聴いているのは、ペーター・ダム(Hrn)、ブロムシュテット指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏、DENON/オイロディスクのGES-9010という全集分売ものと、ズデニェク・ティルシャル(Hrn)、オルドジフ・ヴルチェク指揮プラハ室内管弦楽団の演奏、DENON COCO-70670です。

第1楽章、アレグロ、4分の4拍子。劇場で幕が開き、オペラの中で、こっけいな歌をうたう男性歌手を連想してしまう、そんな始まりです。中低域を担当する弦が規則的なリズムを刻み、高弦が軽やかで華やかな旋律でいろどります。
第2楽章、ロンド:アレグロ、8分の6拍子。こちらも、貴族の館の舞踏会で、やや太りぎみの愛すべき男性がユーモラスに踊るような音楽。途中に、彼が少しばかり嘆きをかこつ場面もありますが、音楽はすぐにもとの上機嫌な輪舞に戻ります。

オーケストラの編成は、Ob(2), Fg(2), 弦楽5部。この曲は、実はモーツァルトの友人にしてホルンの名手ロイトゲープのために書かれた曲だそうな。作曲年代について、愛用の新潮文庫『モーツァルト』(田辺秀樹著、昭和59年初刷刊)作品一覧では、K.412は1782年、フィナーレは1787年となっています。しかし、Wikipedia によれば、作曲年代は当初1781年頃と思われていたのだそうですが、その後、楽譜の用紙に関する分析の結果等から、1790年に着手され、中間楽章が作曲されないうちに、作曲者の死によって未完に終わった作品とされているのだとか。また、ティルシャル盤の解説リーフレットにも、「2つの手稿譜の紙質と筆跡の研究から、1つの手稿譜が1791年の最後の10ヶ月間に完成したこと、教会暦の調査から第2の手稿譜(ロンド)の年代は1791年ーモーツァルトの没年ーが正しいことが判明した」とあります。なるほど、おそらくこの曲は、モーツァルトの最後期の作品として理解するのが正しいのでしょう。

ときに豊かな陰影を描きながらも、上機嫌で愉快なモーツァルトの音楽です。ホルン奏者が目玉をひんむいて、いっしょうけんめい楽器を吹いている姿と、それをからかうモーツァルトの姿を想像してしまいます。死を前にした時期というよりも、ピアノ協奏曲第27番や変ホ長調の弦楽五重奏曲、歌劇「魔笛」などを生み出した、まさにその年、1791年の作品。たしかに、そのほうが自然です。

Youtube 等にも、ラデク・パボラークの演奏等、たくさんの動画があるようです。小学校の音楽鑑賞教材にも用いられているのだとか、短い曲なので、取り上げられやすいこともあるのでしょうか。

参考までに、演奏データを記します。
■ペーター・ダム盤(カデンツァもペーター・ダムによるもの)
I=4'41" II=3'46" total=8'27"
■ティルシャル盤
I=4'40" II=3'40" total=8'20"
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