母の三回忌、父の十七回忌までにできあがることを目標に書いてきた回想記『両親と祖父母とゆかりの人々の記憶』は、どんなふうにして書いたか。自分の記録のためと同時に、参考にしたいという方のために、簡単にまとめておきましょう。
仕事上の報告書や研究論文などは書きなれていますが、回想記などは書いたことがなく、書き始めるまでが億劫でした。ブログに書いたことがあるエピソードなどは、一度は取り上げたことがあるということからスムーズに進むようでした。
あまり自分史を残そうなどという考えはありませんが、見聞きしたゆかりの人々の記憶などは、私が書き残さなければたぶん忘れ去られてしまうだろうということで、今回は頑張ってみました。山響の「第九」も山Qの定期もお休みするほどの力の入りようで、家族や親戚、一族の人たち、あるいは地方史研究家の方々には興味深く読んでいただけるのではないかと思います。ある意味、「位牌持ち」の責任でもあり、やってよかったと思っています。
- 書き始めたのが今年の4月4日で、書き終えて写真も入れ、完成したのが7月25日でしたので、およそ3ヶ月かかりました。
- 2011年に、父の広島での入市被曝の記録をまとめていましたので、これをベースに「第1章 父と母のこと」として母の記録を書き加え、さらに「第2章 祖父母のこと」という章を立てて祖父母やその兄弟姉妹とゆかりの人々の記憶をまとめ、最後に「第3章 思い出すままに」という構成にしました。
- 存命の人については基本的に簡潔に触れるだけにとどめ、故人に関する記録やエピソードを中心にまとめました。
- 文体はブログで書きなれた「です・ます」調の「敬体」としました。
- 詳細が不明な点は存命の年配者に問い合わせ、裏付けとしました。協力していただいた方にも、後日お送りする予定です。
- 額装された写真等の他に、昭和初期から戦後すぐの頃と思われる古いアルバムが残されており、これを素材とした写真の挿入が多くなると予想されましたので、ワープロ LibreOffice Writer と写真画像の編集は Gimp を用いました。
- 執筆と編集は、基本的にパラグラフ・ライティングの方法を用いました。1個のエピソードは1つまたは2つのパラグラフに収まることが多いため、段落ごとそっくり移動することで構成を大きく変更することが容易にできました。
- 校正は、妻にも読んでもらうことで間違いが指摘された事柄もいくつかあり、あとから気づく点も少なくなく、数日程度ねかせて時間をかけたほうが良いようです。
- 「はじめに」は最後に書きました。
- 第3章に「母方の人たち」という節を加えたため、結果的に1ページ増えて15ページになりました。A4判2段組、本文11ポイント、15ページを印刷するのに、キャノンのインクジェットプリンター TS-5130 はあっという間にインクがなくなり、新品交換したばかりの BC-340 は5〜6部を印刷したらインク切れになってしまいました。
- コクヨのレポートメーカー「セホ-50B」による簡易製本は簡単に製本でき、読みやすく保存性も良好なので、Good でした。
仕事上の報告書や研究論文などは書きなれていますが、回想記などは書いたことがなく、書き始めるまでが億劫でした。ブログに書いたことがあるエピソードなどは、一度は取り上げたことがあるということからスムーズに進むようでした。
あまり自分史を残そうなどという考えはありませんが、見聞きしたゆかりの人々の記憶などは、私が書き残さなければたぶん忘れ去られてしまうだろうということで、今回は頑張ってみました。山響の「第九」も山Qの定期もお休みするほどの力の入りようで、家族や親戚、一族の人たち、あるいは地方史研究家の方々には興味深く読んでいただけるのではないかと思います。ある意味、「位牌持ち」の責任でもあり、やってよかったと思っています。