電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

中尾佐助『料理の起源』を読む〜その(2)

2021年11月02日 06時00分29秒 | -ノンフィクション
※昨日の続きです。

第5章「豆の料理」では、納豆の大三角形と味噌楕円の図解が興味深いものです。



日本、ヒマラヤ、ジャワを結ぶ大三角形が納豆の文化圏であり、ナレズシやコンニャク等の共通性が存在するけれど、味噌楕円は中国の華北の文化圏を表すものと言います。ここでも、日本には複数の異なる文化が何度も重層的に伝播してきているという可能性が示唆されます。

第6章「肉と魚の料理」。この章が「偏見の世界」という節から始まるのは、肉食魚食というものの特徴を端的に表しているものかも。回教徒はブタを食べず、ヒンズー教徒は牛を食べない。宗教的タブーは穀物食ではそれほど顕著ではなく、動物食に対する感情的な偏見によるものと指摘します。食肉の変遷と発達、肉や魚肉の貯蔵、スシの問題など、たいへん興味深いものです。

第7章「乳の加工」はページ数も多く、意外なほど内容が豊富です。端的に言うと、乳糖分解酵素の問題から、ユーラシア大陸の遊牧民やチベット族、インド・アリアン族など乳利用が伝播した地域と乳を利用しない地域に分かれたことが述べられ、酸乳の系列等を様々な民族の中に検討し、乳加工技術の発達と分布が位置づけられます。バター、チーズ、ヨーグルトだけではない多様性に驚かされます。

第8章「果物と蔬菜」。温帯性果樹が西部原生種群(リンゴ、洋梨、サクランボ、ブドウ、イチジク等)と東部原生種群(和梨、桃、日本スモモ、梅、柿、ビワ等)とに分けられ、中国の文化と文明の貢献を評価するところは興味深いものです。乾燥果物やナッツ類のところも面白いですし、野菜と蔬菜の貯蔵などは当地の漬物文化の多様性もあり、非常に興味深いテーマと感じます。

著者が提唱した「農耕文化基本複合」という概念は、要するに新しい食べものは種や実が伝えられるだけではなく、栽培技術や調理法なども一緒に伝わるものだ、ということでしょう。たしかに、私が子供の頃には当地でゴーヤを栽培し料理し食べる習慣はありませんでしたが、今では畑にゴーヤを植え、ゴーヤチャンプルーやゴーヤの佃煮を好んで食べているほどです。作物の栽培は農学で、調理法は家政学でというふうに画然と分けてしまうのは、実はあまり賢明なやり方ではないのかもしれません。

総じて、文化人類学、民族学的な学術的内容をたいへん興味深く解説した、充実した内容の本であり、読み飛ばせるレベルではありません。ある程度は時間をかけて、様々な知識や経験を総動員して読むべき本のように思いました。残念ながらNHKブックスでは絶版となっているそうですが、吉川弘文館の「読みなおす日本史」シリーズで復刻されているらしいです。


コメント    この記事についてブログを書く
« 中尾佐助『料理の起源』を読... | トップ | リンゴの簡単コンポートを試... »

コメントを投稿

-ノンフィクション」カテゴリの最新記事