NHKブックスで中尾佐助著『料理の起源』を読みました。著者の本は、学生時代に岩波新書『栽培植物と農耕の起源』を興味深く読んでおり、本書が二冊目になります。1972年第1刷発行で、1999年の第36刷となっており、写真図版はやや版の鮮明度が低下しておりますが、今回もまたたいへん面白い。いわゆる実用的な料理本とはまるで違い、文化人類学における「農耕文化基本複合」概念の提唱の続きとなる、知的好奇心が満たされる興味深い内容でした。
本書の構成は、次のとおりです。
第1章「米の料理」では、日本における米の炊き方の歴史的な変遷と、中国や東南アジアなど米食地帯における米の炊き方の違いを検討し、米の品種系統と共に炊き方における複合文化圏の存在を指摘します。たしかに、通常のお米の炊き方と「おこわ」や「もち米」の「蒸す」調理法とは異なります。米や調理法が複数回の伝播によって伝えられたことが、異なる文化の混在になったのかもしれません。
第2章「麦の料理」では、パン、ナン、饅頭、うどん等の麦料理の地理的分布を検討します。日本の「餡パン」と中国の「ローピン」の類似性の指摘もあり、発想のルーツは案外そんなところにあったのかもしれません。また、麦の種類にしても、小麦、大麦、えん麦、ライ麦などたくさんの種類があるわけですが、栽培や収穫が容易な大麦が主流にならず小麦が主流になる理由も、麦の調理法の転換が背景にあるとするとらえ方は説得的です。
第3章「雑穀の料理」では、アフリカで主食とされる雑穀粉末を用いたダンゴやエチオピアの発酵食品インジェラ、アメリカ大陸由来のトウモロコシを用いた「粉粥」、あるいはチマキ類などが紹介されます。
第4章「穀物料理の一般法則」では、1つの調理法に対しその材料の種類が増加してくることを「材料の発散」と呼び、逆に昔は様々な材料で作られていたのにその調理法はその材料でしかもちいられなくなることを「材料の収斂」と呼びます。日本のチマキなどはこの良い例でしょう。同様のことが調理法にもあてはまり、「調理法の発散と収斂」と呼びます。日本の味噌は、元来は大豆のものがしだいに米麦へと材料の発散が起こったと解釈するわけです。新石器時代に様々な穀物に発散した材料が、歴史時代に入ると穀物の種類が修練してくるという理解でしょう。もちろん、それぞれの地域で平行進化した結果であるという理解もありえますが、チャパティは粉質の問題で発酵食品への進化が遅れてしまったものとみなす見解は説得力があります。
※後半は、次回に続きます。
本書の構成は、次のとおりです。
- 米の料理
- 麦の料理
- 雑穀の料理
- 穀物料理の一般法則
- 豆の料理
- 肉と魚の料理
- 乳の加工
- 果物と蔬菜
第1章「米の料理」では、日本における米の炊き方の歴史的な変遷と、中国や東南アジアなど米食地帯における米の炊き方の違いを検討し、米の品種系統と共に炊き方における複合文化圏の存在を指摘します。たしかに、通常のお米の炊き方と「おこわ」や「もち米」の「蒸す」調理法とは異なります。米や調理法が複数回の伝播によって伝えられたことが、異なる文化の混在になったのかもしれません。
第2章「麦の料理」では、パン、ナン、饅頭、うどん等の麦料理の地理的分布を検討します。日本の「餡パン」と中国の「ローピン」の類似性の指摘もあり、発想のルーツは案外そんなところにあったのかもしれません。また、麦の種類にしても、小麦、大麦、えん麦、ライ麦などたくさんの種類があるわけですが、栽培や収穫が容易な大麦が主流にならず小麦が主流になる理由も、麦の調理法の転換が背景にあるとするとらえ方は説得的です。
第3章「雑穀の料理」では、アフリカで主食とされる雑穀粉末を用いたダンゴやエチオピアの発酵食品インジェラ、アメリカ大陸由来のトウモロコシを用いた「粉粥」、あるいはチマキ類などが紹介されます。
第4章「穀物料理の一般法則」では、1つの調理法に対しその材料の種類が増加してくることを「材料の発散」と呼び、逆に昔は様々な材料で作られていたのにその調理法はその材料でしかもちいられなくなることを「材料の収斂」と呼びます。日本のチマキなどはこの良い例でしょう。同様のことが調理法にもあてはまり、「調理法の発散と収斂」と呼びます。日本の味噌は、元来は大豆のものがしだいに米麦へと材料の発散が起こったと解釈するわけです。新石器時代に様々な穀物に発散した材料が、歴史時代に入ると穀物の種類が修練してくるという理解でしょう。もちろん、それぞれの地域で平行進化した結果であるという理解もありえますが、チャパティは粉質の問題で発酵食品への進化が遅れてしまったものとみなす見解は説得力があります。
※後半は、次回に続きます。
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