帚木蓬生原作の映画『閉鎖病棟〜それぞれの朝〜』(*1)を観てきました。以前、ラジオ文芸館で同氏の作品「かがやき」の朗読を聴き(*2)、収録された本を探しているうちに『風花病棟』(*3)や『閉鎖病棟』(*4)を読み、感銘を受けたものです。今年になって映画化されているのを知り、公開を楽しみにしておりましたので、当地での上映に都合を合わせて早速でかけた次第。
映画は、私にとってはテレビ「家族に乾杯」でおなじみの笑福亭鶴瓶が演じる梶木秀丸こと秀さんが、死刑執行後に蘇生してしまい、車いすの身となって精神病院で暮らしているところから始まります。舞台となった精神病院での日常生活が描かれますが、サラリーマンだったがストレスから統合失調症になり幻覚や幻聴に悩まされ暴れだすようになって、家族から疎まれて入院させられたチュウさん(塚本中弥:綾野剛)を妹夫婦は厄介視しているなど、それぞれに精神に障碍(がい)と身の上によんどころない事情を抱えながらも、基本的には善良な人たちです。けれども、いかにも幸福そうな上機嫌を振りまいていた年配の婦人・石田サナエの孤独な死や、赤と白の手旗信号で「ハヤク イエニ カエリタイ」と繰り返す若者など、行き場がないという点では、地域社会に開放されてはいるけれど、やはりある意味「閉鎖された病棟」とも言えるのかもしれません。
そこにやってくる18歳の少女・島崎由紀は、義理の父に暴行され、妊娠しています。心を閉ざしたまま、隙を見て屋上から飛び降りて自殺を図るのですが、生け垣にひっかかり、嬰児は死亡、本人は生還してしまいます。家に帰れない由紀は、病院の中で秀さんやチュウさんなど周りの人たちと静かに暮らすうちに、しだいに生きる元気を取り戻していきます。
ところが、凶悪犯罪を犯した重宗という札付きの悪党が、牢屋の代わりに精神障害者を装って病院に送り込まれ、皆に嫌われるだけでなく、よりによって由紀を暴行し立ち直れないほどに心身ともに傷つけるのですが、本人はふてぶてしく居座っているのです。かつて死刑判決を受け、死ねなかった秀さんは、この男を排除することを決意、自らの死刑を覚悟のうえで、車いすと侮った重宗を殺害します。
この事件の公判に、傍聴に出かけたチュウさんの前に現れたのは、被告側の証人として証言台の前に立つ、今は看護見習いとして働いている20歳の由紀でした。秀さんに「生きてほしい」と伝える由紀の姿を、チュウさんも、患者の代表を引率した井波看護師長も、じっと見つめます。
○
原作とは時代背景が異なり、映画のほうでは戦後の時代性が後退して、現代らしい要素が取り入れられていますが、作品に込められたメッセージはおおむね忠実(*5)であると感じます。原作に負けない、優れた脚本であると言えましょう。例えば、チュウさんの妹夫婦が、ボケてきた母親を施設に入れ、自分たちが自宅を処分してマンションを建てるからと同意書に署名を迫りますが、実際は精神疾患をわずらい障碍者となった兄を厄介視しているのです。家族の面会に同席する井波看護師長の言葉は、短いですが痛烈で、正しく、重い。これが本当だと思います。
ほんとうに心に残る、いい映画でした。この映画についてあれこれ検索していたら、昔、冤罪によって難儀された村木厚子さんと原作者の帚木蓬生氏と平山秀幸監督が対談している動画を見つけました。これも興味深いものでした。
11月1日(金)公開『閉鎖病棟―それぞれの朝―』座談会―生きづらさを抱える人たちへ
(*1):映画『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』公式サイト
(*2):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月
(*3):帚木蓬生『風花病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2015年11月
(*4):帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月
(*5):原作よりも後退してるかもと思えるのは、警察・検察が凶悪犯を安易に精神病院に送り込んで牢屋の代わりにしているのではないかという、精神科医の立場からの問題提起の面でしょうか。ただし、映画の時間枠に収めて娯楽作品として成立させるには仕方がない、という面もあるのでしょう。
【追記】
「由紀ちゃん」と呼んでいたので、原作どおり「島崎由紀子」なのかなと思っていたら、脚本では2006〜2008年頃という想定に合わせ、「由紀」という名前にしているのだそうです。本文中の名前を訂正しました。最近は「子」のつく名前が珍しくなっているからなあ(^o^;)>
映画は、私にとってはテレビ「家族に乾杯」でおなじみの笑福亭鶴瓶が演じる梶木秀丸こと秀さんが、死刑執行後に蘇生してしまい、車いすの身となって精神病院で暮らしているところから始まります。舞台となった精神病院での日常生活が描かれますが、サラリーマンだったがストレスから統合失調症になり幻覚や幻聴に悩まされ暴れだすようになって、家族から疎まれて入院させられたチュウさん(塚本中弥:綾野剛)を妹夫婦は厄介視しているなど、それぞれに精神に障碍(がい)と身の上によんどころない事情を抱えながらも、基本的には善良な人たちです。けれども、いかにも幸福そうな上機嫌を振りまいていた年配の婦人・石田サナエの孤独な死や、赤と白の手旗信号で「ハヤク イエニ カエリタイ」と繰り返す若者など、行き場がないという点では、地域社会に開放されてはいるけれど、やはりある意味「閉鎖された病棟」とも言えるのかもしれません。
そこにやってくる18歳の少女・島崎由紀は、義理の父に暴行され、妊娠しています。心を閉ざしたまま、隙を見て屋上から飛び降りて自殺を図るのですが、生け垣にひっかかり、嬰児は死亡、本人は生還してしまいます。家に帰れない由紀は、病院の中で秀さんやチュウさんなど周りの人たちと静かに暮らすうちに、しだいに生きる元気を取り戻していきます。
ところが、凶悪犯罪を犯した重宗という札付きの悪党が、牢屋の代わりに精神障害者を装って病院に送り込まれ、皆に嫌われるだけでなく、よりによって由紀を暴行し立ち直れないほどに心身ともに傷つけるのですが、本人はふてぶてしく居座っているのです。かつて死刑判決を受け、死ねなかった秀さんは、この男を排除することを決意、自らの死刑を覚悟のうえで、車いすと侮った重宗を殺害します。
この事件の公判に、傍聴に出かけたチュウさんの前に現れたのは、被告側の証人として証言台の前に立つ、今は看護見習いとして働いている20歳の由紀でした。秀さんに「生きてほしい」と伝える由紀の姿を、チュウさんも、患者の代表を引率した井波看護師長も、じっと見つめます。
○
原作とは時代背景が異なり、映画のほうでは戦後の時代性が後退して、現代らしい要素が取り入れられていますが、作品に込められたメッセージはおおむね忠実(*5)であると感じます。原作に負けない、優れた脚本であると言えましょう。例えば、チュウさんの妹夫婦が、ボケてきた母親を施設に入れ、自分たちが自宅を処分してマンションを建てるからと同意書に署名を迫りますが、実際は精神疾患をわずらい障碍者となった兄を厄介視しているのです。家族の面会に同席する井波看護師長の言葉は、短いですが痛烈で、正しく、重い。これが本当だと思います。
ほんとうに心に残る、いい映画でした。この映画についてあれこれ検索していたら、昔、冤罪によって難儀された村木厚子さんと原作者の帚木蓬生氏と平山秀幸監督が対談している動画を見つけました。これも興味深いものでした。
11月1日(金)公開『閉鎖病棟―それぞれの朝―』座談会―生きづらさを抱える人たちへ
(*1):映画『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』公式サイト
(*2):ラジオ文芸館「かがやく」を聴く~「電網郊外散歩道」2015年9月
(*3):帚木蓬生『風花病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2015年11月
(*4):帚木蓬生『閉鎖病棟』を読む~「電網郊外散歩道」2016年4月
(*5):原作よりも後退してるかもと思えるのは、警察・検察が凶悪犯を安易に精神病院に送り込んで牢屋の代わりにしているのではないかという、精神科医の立場からの問題提起の面でしょうか。ただし、映画の時間枠に収めて娯楽作品として成立させるには仕方がない、という面もあるのでしょう。
【追記】
「由紀ちゃん」と呼んでいたので、原作どおり「島崎由紀子」なのかなと思っていたら、脚本では2006〜2008年頃という想定に合わせ、「由紀」という名前にしているのだそうです。本文中の名前を訂正しました。最近は「子」のつく名前が珍しくなっているからなあ(^o^;)>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます