電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

2011年3月のブログ記事を読み返すとき

2023年03月11日 06時00分35秒 | ブログ運営
今日、3月11日は、東日本大震災が発生した日です。すでに12年の時間が経過し、あの年に生まれた子どもが小学校を卒業するのですから早いものです。被災した方々の心の傷はまだ「かさぶた」状態なのかもしれませんが、それでも日常は動いていくのでしょう。周囲の人々との日々の営みの積み重ねが、少しでも心を癒やしてくれることを祈ります。

私も、2011年3月の、特にブログを再開した14日以降の記事(*1)を読むと、厳粛な気持ちになります。文章に緊張感があり、背筋がピンと伸びているような感じがします。軽妙さやユーモアの要素はほぼ影を潜め、物事を斜めに見ることもなく、事態をまっすぐに捉えようとしているのが感じられます。ある意味、自分の過去記事から自分自身の現状が叱責されているような感じさえ受けるほどに、今の自分もおそらくこれ以上のことは書けなかったであろうと思います。

(写真は、山形県の村山盆地中央部を水害から防止することができている理由の一つ、最上川と古最上遊水地です。先人の智慧に感謝です。)

(*1): 「電網郊外散歩道」2011年3月の過去記事


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4 コメント

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あの日 (しろまめ)
2023-03-12 13:23:33
あの日は札幌市内の会社にいて、少し大きな長い揺れを感じました。
書類キャビネットに挿してあった鍵が、大きく半円を描いて動いているのを覚えています。

「少し大きな長い揺れ」と書きましたが、札幌市内ではビルの4階でもその程度。
自宅のある小樽市内では、地域によってはほとんど揺れを感じなかった人もいるようです。

そしてテレビをつけてみたら……。
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しろまめ さん、 (narkejp)
2023-03-12 21:34:48
コメントありがとうございます。あのときの地震は、関西ではあまり感じなかったようですね。たしかに、阪神淡路大震災の時は東北では揺れを感じた記憶がありません。テレビやラジオ、新聞などで報道されるニュースで大変さを感じた人が多く、当事者意識に濃淡があるのは仕方がありません。怖いのは、特定の地域のローカルな問題として考えられてしまうことでしょうか。スリーマイル島の、チェルノブイリ地方の、福島の太平洋岸の、ごく限られた地域の問題と考えられてしまうと、ウクライナあたりで地域限定の戦術核兵器の使用が計画されたりするのだろうと思います。たまたま運がよくて?地域限定で済んでいるだけであって、運悪く全国的・世界的規模にならないとは限らないところが怖いですね。
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Unknown (kumaneko48)
2023-03-16 00:28:33
私は2011年3月19日にblogを書いていました。
近所に住んでいる気仙沼の友人の実家の家族5人の安否が確認できたのは震災後5日目でした

知恵があるやつは知恵を
力があるやつは力を
金があるやつは金を
自分は何も出せないよ というやつは元気を出せ

歌手の松山千春さんが、ラジオで言った言葉を書いていました。
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kumaneko48 さん、 (narkejp)
2023-03-16 06:26:46
コメントありがとうございます。友人の実家のご家族の安否確認ができたのは震災5日後でしたか。松山千春さんのことばはほんとにそうですね。当時、隣県山形は被災地への補給基地のような役目を果たしていました。山形空港からは24時間体制でヘリが飛び、物資の輸送をしていましたし、比較的安全だった国道48号線は、入浴や買い物に来る被災者の車が列を作っていました。そんな中での福島第一の水素爆発のテレビ映像は衝撃的でした。
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