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「自分のブログ記事の表記は統一すべきか」と問われたら、たいていは「統一すべき」と答えることが多いのではないかと思います。実際、ハチャメチャに不統一なよりは、ある程度は統一されていたほうが読みやすいのではないかと思うからです。ただし、後から検索されることが多いブログ記事の場合は、必ずしもそうとばかりは言えないのではないでしょうか。以前も、表記の揺れと検索について書いたことがあります(*1)が、自分自身の表記の仕方も年を経ると変わってくることがあるようです。ほぼ毎日更新で20年も続いたこのブログでも、はじめは常体(だ、である)で書いていましたが、多くの読者の方々からコメントをいただくようになると、自然に敬体(です、ます)で書くようになりました。こうなると、今さら過去記事にさかのぼって文体を統一するのは無理があります。また、自分自身の表記にも揺れがある以上、後に検索することを考えれば、同じ記事に様々な表記を混在させておいたほうがよいだろうという判断です。
例えば「耕耘」と「耕運」、「耕うん」などの表記はだいぶ揺れ動いています。はじめは当用漢字にあるからということで「耕運」を使ったけれど、後からは本来の意味を重視して「耕耘」を使うようになりました。また、このブログの初期の頃は、音楽を「聴く」を使わず「聞く」を使っています。これは、自分が素人音楽愛好家に過ぎないという認識から、音楽を「聴く」レベルには達していないという意識があったからでしょう。これもまた、読者との交流を通じて「もっと自信を持っていい」と考えるようになり、最近はもっぱら音楽を「聴く」にしています。
本を出版するときなら、表記が統一されている方がいいのでしょうが、後で検索することを考えれば、「プレピー」「プレッピー」「Preppy」のように併記するか、検索語を工夫するのが望ましいのかもしれません。最近は、仮名漢字変換で早く出てくるからという安直な理由で「耕耘」を使うことがことが多いけれど(^o^)/
(*1): 表記の揺れと検索~「電網郊外散歩道」2018年1月
例えば「耕耘」と「耕運」、「耕うん」などの表記はだいぶ揺れ動いています。はじめは当用漢字にあるからということで「耕運」を使ったけれど、後からは本来の意味を重視して「耕耘」を使うようになりました。また、このブログの初期の頃は、音楽を「聴く」を使わず「聞く」を使っています。これは、自分が素人音楽愛好家に過ぎないという認識から、音楽を「聴く」レベルには達していないという意識があったからでしょう。これもまた、読者との交流を通じて「もっと自信を持っていい」と考えるようになり、最近はもっぱら音楽を「聴く」にしています。
本を出版するときなら、表記が統一されている方がいいのでしょうが、後で検索することを考えれば、「プレピー」「プレッピー」「Preppy」のように併記するか、検索語を工夫するのが望ましいのかもしれません。最近は、仮名漢字変換で早く出てくるからという安直な理由で「耕耘」を使うことがことが多いけれど(^o^)/
(*1): 表記の揺れと検索~「電網郊外散歩道」2018年1月
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