数日好天が続いたので、農作業が始まるかなと思っていたら、案の定また雪降りのお天気になりました。午前中は寺で役員のみで釈迦涅槃会を行い、午後から仕事で出かけ、夕方になって雪の中を自宅に戻りました。ほっと一息ついたところで、音楽を聴きましょう。そういえば、今回やむを得ず中止となった山響の第299回定期演奏会では、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番とブルックナーの交響曲第4番を聴く予定でした。ブルックナーの交響曲を聴いてみようかと取り出したのが、2枚のCD、それにパブリックドメインになって公開されている音源が1種類。
ここで、飯森範親指揮山形交響楽団の演奏は、実際に定期演奏会で聴いています(*1)し、CD化されたときにも取り上げています(*2)。クーベリックの録音は、まだCDが高価だった1980年代の初頭に購入したレギュラープライス盤で、ややゆっくりめのテンポで演奏されるものです。
最後のオイゲン・ヨッフムの録音は、公開されている音源をダウンロードしたものですが、実はこれ、大学時代の恩師が好んで聴いていたものでした。あいにく、私はオイゲン・ヨッフムという指揮者の録音を追いかけることはなく過ごしてきましたが、今は亡くなって久しい恩師が好んで聴いていた演奏はどんなものだったのだろうと興味を持ち、パブリック・ドメインの恩恵を享受しているものです。
Bruckner: Symphony No. 4, Jochum & BPO (1965) ブルックナー 交響曲第4番 ヨッフム
恩師の享年に少しずつ近づいている今、葬儀のこと(*3)や遺品(*4)のこと、記念会のこと(*5)などのほかに、困っている学生を助け、勇気づけ励ましてくださる先生だったこと、不甲斐なかった自分の若い頃のことなどを時おり思い出すことがあります。
(*1): 山響第178回定期演奏会を聴く〜ベートーヴェンとブルックナーの4番〜「電網郊外散歩道」2007年1月
(*2): 飯森+山響の新しいCD〜ブルックナーの交響曲第4番〜「電網郊外散歩道」2008年2月
(*3): 恩師の葬儀に出席〜「電網郊外散歩道」2005年1月
(*4): 恩師の遺品〜「電網郊外散歩道」2005年4月
(*5): 恩師の記念会に出席する〜「電網郊外散歩道」2006年1月
- 飯森範親指揮、山形交響楽団 YSO-live OVCX-0037 (2007) ハース版
- クーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団 CBS-SONY 30DC-764 (1981) ノヴァーク版
- オイゲン・ヨッフム指揮、ベルリン・フィル DG (1965) ハース版
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調「ロマンティック」
ここで、飯森範親指揮山形交響楽団の演奏は、実際に定期演奏会で聴いています(*1)し、CD化されたときにも取り上げています(*2)。クーベリックの録音は、まだCDが高価だった1980年代の初頭に購入したレギュラープライス盤で、ややゆっくりめのテンポで演奏されるものです。
最後のオイゲン・ヨッフムの録音は、公開されている音源をダウンロードしたものですが、実はこれ、大学時代の恩師が好んで聴いていたものでした。あいにく、私はオイゲン・ヨッフムという指揮者の録音を追いかけることはなく過ごしてきましたが、今は亡くなって久しい恩師が好んで聴いていた演奏はどんなものだったのだろうと興味を持ち、パブリック・ドメインの恩恵を享受しているものです。
Bruckner: Symphony No. 4, Jochum & BPO (1965) ブルックナー 交響曲第4番 ヨッフム
恩師の享年に少しずつ近づいている今、葬儀のこと(*3)や遺品(*4)のこと、記念会のこと(*5)などのほかに、困っている学生を助け、勇気づけ励ましてくださる先生だったこと、不甲斐なかった自分の若い頃のことなどを時おり思い出すことがあります。
(*1): 山響第178回定期演奏会を聴く〜ベートーヴェンとブルックナーの4番〜「電網郊外散歩道」2007年1月
(*2): 飯森+山響の新しいCD〜ブルックナーの交響曲第4番〜「電網郊外散歩道」2008年2月
(*3): 恩師の葬儀に出席〜「電網郊外散歩道」2005年1月
(*4): 恩師の遺品〜「電網郊外散歩道」2005年4月
(*5): 恩師の記念会に出席する〜「電網郊外散歩道」2006年1月
お久しぶりです。
私も偶然先月はクーベリックのロマンティックを聴き込んでいたんです!いいですよねー、この演奏。とても心地よく耳に入ってきます。
コロナ禍で演奏会を開くのは難しいこともでてきますが、なんとか地元のオーケストラの安定的な運営を願うばかりです。
ヨッフムのロマンティック、おそらくレコードで出たこの曲の最初期の商品だったと思います。1960年代ですね。墨絵のような渋いジャケット、懐かしいです。他になかったですしベルリンフィルということで評価されていましたっけ。今聴くと結構粗い演奏ですが、すべて時代の進展でしょう。恩師の先生も本場のロマンティック、感動されていたと信じています。