当地の地元紙・山形新聞には、東京電力福島第一原子力発電所における全電源喪失の事態に、所員や周辺の関連する人たちがどう対応したかを克明に取材したルポが連載されています。おそらく共同通信の配信記事で、他の地方紙でも読むことができるのだろうと思いますが、これがたいへん興味深い内容です。朝の忙しい時間に、ささっと斜め読みしていくだけでは物足りない。ぜひ単行本としてじっくり読んでみたいものです。
いったん中断されていた連載が少し前に再開され、今は最終章「命」と題して、所員や関連会社の社員など大多数が退避した後に、残った少数で対応している様子が描かれます。うーむ、情報も途絶えがちな混乱のただ中にあっては、責任ある立場にある者といえど、誤りのない判断などできるはずがない。でも、置かれた状況の中で推測しうる最善の判断を、諦めずに一つ一つ積み重ねるしかない。故・吉田所長の立場に、思わず同情してしまいたくなります。(写真は、平成26年7月27日付けの山形新聞より。)
そうか、大きな地震で被害を受けた家の片付けを手伝いに行ったり、ようやく復旧した電気で状況を知り、驚いていたあの頃(*1)、福島第一原発の内部ではそんな状況だったのですね。混乱の中で、行き違いは当然ありうるでしょうし、間違いもあったのでしょうが、偶然が幸いして現在の状況にとどまったにすぎないことがよくわかります。事故後三年が経過して、報道もまた、ぐっと深化しつつあるようです。
(*1):「電網郊外散歩道」2011年3月の記事
いったん中断されていた連載が少し前に再開され、今は最終章「命」と題して、所員や関連会社の社員など大多数が退避した後に、残った少数で対応している様子が描かれます。うーむ、情報も途絶えがちな混乱のただ中にあっては、責任ある立場にある者といえど、誤りのない判断などできるはずがない。でも、置かれた状況の中で推測しうる最善の判断を、諦めずに一つ一つ積み重ねるしかない。故・吉田所長の立場に、思わず同情してしまいたくなります。(写真は、平成26年7月27日付けの山形新聞より。)
そうか、大きな地震で被害を受けた家の片付けを手伝いに行ったり、ようやく復旧した電気で状況を知り、驚いていたあの頃(*1)、福島第一原発の内部ではそんな状況だったのですね。混乱の中で、行き違いは当然ありうるでしょうし、間違いもあったのでしょうが、偶然が幸いして現在の状況にとどまったにすぎないことがよくわかります。事故後三年が経過して、報道もまた、ぐっと深化しつつあるようです。
(*1):「電網郊外散歩道」2011年3月の記事
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