95歳の老母、一昨年までは裏の畑で野菜作りを陣頭指揮して楽しみ、デイサービスには拒否感を示していました。ところが、昨年から体力的に畑仕事はムリだと感じたらしく、そうなると寝ている時間が多くなり、さらに体力が低下します。今年、仏壇で手をあわせていたら自力では畳から立てなくなったことが衝撃だったらしく、運動を兼ねてデイサービスに行くことを了承しました。で、トントン拍子に話が進み、こんどは週二回、行くことになりました。お風呂が広々としていて良いのと、同世代の人たちと話ができるのが良いそうで、こんなことならもっと早くから行っていれば良かったとさえ言っております。
そう言えば、浦島太郎は竜宮城では乙姫様と楽しく暮らしていましたが、たぶん乙姫様は若くて同世代っぽくて話が合ったのでしょう。でも、浦島太郎はふとホームシックになる。乙姫様は事情がわかりますから、「決して開けてはいけません」と言って、玉手箱をもたせます。浦島太郎が村に帰ってみると、いつのまにか長い時が経っていて、知っている人は皆死んでしまい、見知らぬ人たちばかり。うーむ、それは寂しい。話もできません。で、結局は玉手箱を開けてしまうのですが、あっという間に白髪のおじいさんになってしまいます。このあたり、孤独な浦島太郎にとって老化は不幸ではなく、福音だったのかもしれません。もしも浦島太郎に話の合う友だちがいたらきっと事情は違っていたのでしょうけれど。
わが老母は、熱心に畑仕事に取り組んでいたときは、それなりに工夫もして楽しみがあったと思いますが、それがなくなると、世代が違う家族の中で必ずしも話題が共通とはいえません。ほとんど浦島太郎状態でしょう。ところがデイサービスに行くと、周囲は近隣の同世代または近い世代ばかり。人や地域の話題も共通性がありますし、健康の状況も似たりよったりです。こうなると、浦島太郎に同世代の友だちが出来たようなもので、ぜひ行きたい、もっと早くから行っていれば良かった、となるのもなるほどと理解できます。
そう言えば、浦島太郎は竜宮城では乙姫様と楽しく暮らしていましたが、たぶん乙姫様は若くて同世代っぽくて話が合ったのでしょう。でも、浦島太郎はふとホームシックになる。乙姫様は事情がわかりますから、「決して開けてはいけません」と言って、玉手箱をもたせます。浦島太郎が村に帰ってみると、いつのまにか長い時が経っていて、知っている人は皆死んでしまい、見知らぬ人たちばかり。うーむ、それは寂しい。話もできません。で、結局は玉手箱を開けてしまうのですが、あっという間に白髪のおじいさんになってしまいます。このあたり、孤独な浦島太郎にとって老化は不幸ではなく、福音だったのかもしれません。もしも浦島太郎に話の合う友だちがいたらきっと事情は違っていたのでしょうけれど。
わが老母は、熱心に畑仕事に取り組んでいたときは、それなりに工夫もして楽しみがあったと思いますが、それがなくなると、世代が違う家族の中で必ずしも話題が共通とはいえません。ほとんど浦島太郎状態でしょう。ところがデイサービスに行くと、周囲は近隣の同世代または近い世代ばかり。人や地域の話題も共通性がありますし、健康の状況も似たりよったりです。こうなると、浦島太郎に同世代の友だちが出来たようなもので、ぜひ行きたい、もっと早くから行っていれば良かった、となるのもなるほどと理解できます。
同世代の仲間がいる、というのは大きな魅力でしょうね、特に女性にとっては。男性に比べて、女性は人との関係を作るのが上手ですから、何はなくとも同世代の話が合う友達がいるのは嬉しいことでしょう。
それとデイサービスは幼稚園みたいなことをさせるから嫌いだ、というご老人も多かったと見聞きしたことがあります。
最近は取り組み方も変わっているのでしょうか?
>デイサービスは幼稚園みたいなことをさせるから嫌いだ
同様のことを、老母も以前もらしたことがあります。実際に、塗り絵や間違い探し、グループ体操などが実施されているようで、丈夫な人には評判が悪い。ところが、手が不自由になり筆記具が持ちにくくなった人や短期記憶が怪しくなってきた人には、機能維持の訓練や適度な運動として受け止められているようです。幼稚園のお遊戯と見かけは一緒ですが、目的と意味合いが違うことに本人が気づいたようです。