電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

ヒルトン『心の旅路』を読む

2007年05月04日 05時44分51秒 | -外国文学
先日、見えなくなっていたヒルトン作『心の旅路』を発見したことを記事にしました(*)が、茶色くなった古い角川文庫のページをめくりながら、ようやく読了しました。いくつか映画(*2)との違いを発見し、脚本のうまさと難しさを感じました。

第1部、筆者「わたし」とチャールズ・レイニアとの出会いは、汽車の中でふともらした彼の一言がきっかけでした。スイシンでの朗読会を機に彼の秘書の仕事につくこととなり、スタートンの邸宅で執事のシェルダンとレイニア夫人に会い、チャールズが記憶を保持している体験談を聞きます。
第2部、チャールズの話です。リバプールで自動車事故にあい、記憶が蘇り、自宅に戻ります。父の死と遺言状の公開が行われ、戦死と思われていたチャールズには遺産の配分もありませんでした。弁護士の主張で、兄弟姉妹から少しずつ分けてもらい、大学に戻ってささやかな生活をはじめます。しかし、会社を相続した長兄チェットの乱脈で危機に陥った会社を立て直すために、ひたすら働きます。子どもだったキティが美しく成長し、チャールズと婚約しますが、失った記憶が妨げとなり、婚約を解消します。

第3部。旅に明け暮れ、酒におぼれるピアニスト夫婦を案内し、見た芝居「国旗に敬礼」には、記憶がありました。チャールズは、そこでメルベリーの精神病院を思い出します。
第4部、失われた記憶の中身が明かされます。メルベリーの精神病院を抜け出し、女優ポーラに助けられ、旅回りの一座に加わります。五つの州が見える田舎の旅館で愛を誓い、ロンドンの牧師館でひっそりと暮します。作家として新聞社との契約のためリバプールに赴き、そこで自動車事故に遭遇したのでした。
第5部、チャールズは、かつてともに暮し愛した女性を探しに行きます。後を追った夫人はチャールズを見つけ、スミシーとポーラとして、互いを再発見するのです。



映画では登場しない脇役たちが、原作ではたいへんに魅力的です。まず語り手としての「わたし」。ホッブス嬢からチャールズ・レイニアの秘書役を引き継ぎます。次に、失った息子のかわりに、夫人がほとんど養子のように世話をする若者のウォーバーン。サンダーステッド医師と対立し、チャールズの遺産相続の権利を主張してやまない弁護士トラスラブ。チャールズを崇拝する元秘書で、夫人を嫉妬するホッブス嬢。劇団の人々、漂泊のピアニスト、そして、ロンドンの牧師館に住む風変わりな牧師プランピード。

こうした脇役の織りなす陰影は、映画では見事に削られ、記憶を失ったチャールズが、いつ夫人の無償の愛情に気づくのか、そこがポイントになっています。原作では、失われた記憶の謎解きの要素が、全体の大きな骨格になっています。『チップス先生さようなら』しか知らなかったヒルトンの原作の構成の見事さとともに、映画の脚本として単純化するためにはらわれたであろう脚本家の苦心が忍ばれます。

(*):ヒルトン『心の旅路』の文庫本を発見
(*2):映画「心の旅路」を見る
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尾高尚忠「フルート協奏曲」を聴く

2007年05月03日 08時12分37秒 | -協奏曲
現代日本の音楽に属する作品に接する機会は、当地ではそう多くはないものです。先月の28日の演奏会「現代日本オーケストラ名曲の夕べ2007」は、残念ながら聴けませんでしたが、山形弦楽四重奏団の定期演奏会で佐藤敏直さんの曲を聴き、ここしばらく「日本の名協奏曲集」というCDを聴いております。これはDENONのクレスト1000シリーズ中の1枚(COCO-70507)で、吉松隆「ファゴット協奏曲"一角獣回路"」(1988)、尾高尚忠「フルート協奏曲」(1948)、矢代秋雄「ピアノ協奏曲」(1967)が収録されています。

この中で、吉松隆さんの、入力・変調・出力、あるいは回路などのなじみ深い用語が登場するファゴット協奏曲も、1993年のデジタル録音の鮮明さもあり、打楽器とファゴットの対話などが面白いと思いましたが、とりわけ尾高尚忠さんの開放的な「フルート協奏曲」が気に入りました。

本作の発表は1948年で、いわゆる「進駐軍」のコンサートのために書かれたのだそうです。最初は小編成の室内楽バージョンだったのを、1951年に作曲者自身が管弦楽版に改訂したもので、最後の数小節を残して病気のために早逝してしまったのだとのこと。しかし、そんな翳りは見えず、長く苦しい先の大戦が終わり、生活の苦しさや社会の混乱の中にあっても、希望や自由を謳歌できた時期なのでしょう、どこか民謡風の味わいを持つ、開放感が心地よく感じられる音楽です。

第1楽章、アレグロ・コン・スピリート。どこか日本民謡ふうの印象は、5音音階による第1主題のためでしょうか。のびやかな第2主題。フルートのジャン=ピエール・ランパルの演奏が素晴らしい。日本民謡ふうの部分も、どこか上品な感じです。
第2楽章、レント。ピアノのアルペジオに続き、フルート・ソロで美しい旋律が奏でられます。ここもオリエンタルな気分です。第2主題は、弦のコルレーニョに乗り、のびやかに田舎風に懐かしいメロディ。
第3楽章、モルト・ヴィヴァーチェ。速く活発で、フルートの技巧をふんだんに聴かせます。この曲としては、ラプソディックな明るさの中にもやや哀感を感じさせる楽章です。

演奏は、ジャン=ピエール・ランパルのフルート、森正指揮の読売日本交響楽団。森正氏は、作曲当時の初演者でもありました。1968年に、東京の杉並公会堂で録音されています。もちろん、アナログ録音です。

参考のために、演奏データを示します。
■ジャン=ピエール・ランパル(fl)、森正/読響
I=4'45" II=5'55" III=5'44" total=16'24"
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藤沢周平『用心棒日月抄』を読む

2007年05月02日 05時47分43秒 | -藤沢周平
このWeblogの開始と微妙にずれていて、まだ登場していなかった藤沢周平作品、『用心棒日月抄』を再読しました。読みかえすたびに、これは名作だと感じます。

主人公、青江又八郎は、大富家老らによる藩主毒殺の謀議を立ち聞きしてしまい、婚約者である由亀の父親に相談しますが、逆に後ろから斬られそうになります。無意識のうちに反撃し、父親を斬ったところを由亀に見られ、脱藩して江戸で浪人暮らしを始めます。糊口をしのぐ手段は、剣の腕を生かした市井の用心棒家業でした。

はじめのうちこそ、犬の用心棒だとか娘の送迎だとか、のんびりした話が続きます。しかし、「梶川の娘」「夜鷹斬り」あたりから、藩の放つ刺客と浅野内匠頭の刃傷事件に絡む吉良と浅野の残党との暗闘が見え隠れする事件が続くようになります。

「夜の老中」では又八郎が老中の気に入られますが、落ちも粋ですね。「内儀の腕」も赤穂の浪人がらみですが、しっかりと女主人の若気の過ちを描くところに、作家の円熟した人間観察が見えます。「代稽古」「内蔵助の宿」「吉良邸の前日」では、赤穂浪士の討ち入りを側面から描く形になっています。

そして「最後の用心棒」で、盟友細谷と口入れ屋の吉蔵に見送られ、江戸を発って国許に潜入しようとしますが、途中で見事な短剣術を使う女忍びの佐知に襲撃されます。だが、逆に佐知が負傷し、又八郎に助けられることに。

帰り着いた家では、老母と由亀が待っていました。間宮中老に真相を伝えると、大富家老一派は処断されます。大富家老につながる天才剣士、大富静馬が放った一撃をようやくしのぎ、青江又八郎はその後姿を見送ります。続編を期待させる場面です。

意外性に富むストーリー、明るさの中にも陰影豊かな情感、流れるような文章を充分に堪能できる作品。『蝉しぐれ』『三屋清左衛門残日録』『風の果て』などとともに、藤沢周平の代表的作品と言えましょう。『孤剣』『刺客』『凶刃』と続く『用心棒日月抄』四部作の始まりとなる作品です。

■藤沢周平『孤剣~用心棒日月抄』を読む
■藤沢周平『刺客~用心棒日月抄』を読む
■藤沢周平『凶刃~用心棒日月抄』を読む
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グリーグ「叙情小曲集」を聴く

2007年05月01日 06時49分39秒 | -独奏曲
春爛漫の季節です。今朝も、早朝からコーヒーをいれ、グリーグの「叙情小曲集」を聴きました。エミール・ギレリスのピアノ演奏、1970年代にずいぶん評判になった録音です。

エミール・ギレリスというピアニストは、「鋼鉄の」という形容詞がついた時期もあったらしいですが、廉価盤には縁の薄い演奏家でしたので、近年までほとんど接する機会がありませんでした。この「叙情小曲集」というレコードを出して、たいへん好評だったことは承知していましたが、なんとなく手を出しかねておりました。

ところが、30年も経った頃、輸入盤と思われるCDを発見、興味をひかれて購入し、聴きました。名前のとおり静かで叙情的なピアノ曲集、ちょっと北欧の「無言歌集」といった感じです。

演奏されている曲は、以下のとおり。

(1) アリエッタ、(第1集、作品12の1)
(2) 子守歌、(第2集、作品38の1)
(3) 蝶々、(第3集、作品43の1)
(4) 故郷にて、(同上、作品43の2)
(5) アルバムの綴り、(第4集、作品47の2)
(6) メロディ、(同上、作品47の3)
(7) ハリング、(同上、作品47の4)
(8) 夜想曲、(第5集、作品54の4)
(9) スケルツォ、(同上、作品54の5)
(10)郷愁、(第6集、作品57の6)
(11)小川、(第7集、作品62の4)
(12)家路、(同上、作品62の6)
(13)バラード調で、(第8集、作品65の5)
(14)おばあさんのメヌエット、(第9集、作品68の2)
(15)あなたのそばに、(同上、作品68の3)
(16)ゆりかごの歌、(同上、作品68の5)
(17)昔々、(第10集、作品71の1)
(18)小妖精、(同上、作品71の3)
(19)過去、(同上、作品71の6)
(20)余韻、(同上、作品71の7)

ギレリスというピアニストは、本当はこんなすてきな演奏をしてくれる人だったのですね。「鋼鉄」とかいうキャッチフレーズのせいで、あやうく誤解したまま食わず嫌いになるところでした。(^_^;)>poripori

写真は、裏の畑で撮影した青い花。正しい名前は不明ですが、ラナンキュラスの仲間でしょうか。青い色が印象的できれいです。老父母は、最近花に凝っております。
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