電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

佐伯泰英『照葉ノ露~居眠り磐音江戸双紙(28)』を読む

2009年10月16日 06時05分13秒 | -佐伯泰英
佐伯泰英著『居眠り磐音江戸双紙』シリーズ第28巻、『照葉ノ露』を読みました。せっかくのエンターテインメントですので、あらすじを詳細に追うことはいたしませんで、例によって(読んだ人がわかるような)とりとめもないコメントを記すことといたします。

第1章「酒乱の罪」・第2章「仇討ち」。ずっと酒を絶っていた、酒乱癖の父親が、妻への心ない誹謗を真に受けて、嫉妬にかられて妻を虐待します。妻とは同郷であり、家来ながら夫婦の長男に武術を教えている師範が中に入り、主の妻を助けようとしますが、はずみで主を殺害してしまいます。封建時代に主殺しは極刑の定め、酒乱の夫を殺された妻は、息子を残して師匠とともに逃亡します。残された息子は、母と師を仇として討たねばなりません。助太刀をする磐音も、迷います。
どうやらこのエピソードが、来年の正月「陽炎の辻」スペシャルのネタらしい。きっと、過酷な運命にじっと耐える子役に、視聴者の同情が集まることでしょう。
第3章「大川の月」・第4章「真剣のこつ」。尚武館佐々木道場の若手だった重富利次郎は、父親に同道して、国元の土佐に旅することとなります。利次郎が、自信喪失の状態から立ち直るのに助力した霧子は、どうやらひそかに利次郎に心を寄せているらしい。はたしてその心中やいかに(^o^)/
娘の早苗が佐々木道場に住み込み奉公をするようになっても、相変わらずの竹村武左衛門は、大刀を捨て、陸奥磐城平藩五万石、安藤対馬守の下屋敷の門番に雇ってもらえることになりましたが、老練な用人の猿渡孝兵衛さんは、この酒飲み能天気男の本性を察知しながら、佐々木磐音と幕閣とのつながりを重視し、雇い入れることとしたのでした。どうも、いいコンビになりそうな気配です。
重富利次郎を送り出す剣術試合の後、利次郎は磐音に真剣のこつを伝授されます。ふーむ。すると、利次郎の土佐行きは、かなりの波乱含みということなのでしょうか。もしかすると、今後の西の丸世子家基様の運命に土佐藩が絡んでくるのだろうか?いやいや、幕末乱世ならともかく、今はまだ単なるエピソードで、外様大名の出番はないのでしょうか。
第5章「四番目の刺客」。利次郎が出発した後、磐音は西の丸の家基の剣術指南を命じられます。このあたり、よく田沼老中が妨害しないものだと不思議です。しかも、いきなりの真剣指南。ふつうはたいへんな物議をかもすところでしょう。噂を伝え聞いた老中が、望外のネタに使うと考えるのが自然な展開かと思いますが、さすがチャンバラ・エンターテインメント。そのような政治的な展開は取らず、四番目の刺客の登場となりました。このあたりは、まあ、偉大なるワンパターンでしょう。むしろ、純情な一郎太と、出戻ってきた幼なじみの瀬上菊乃さんのカップルがほほえましい展開です。

しかし、酒乱というのは困ったものですね。エタノールの作用で気分がハイになるのは理解できますが、制御機構が外れてしまって乱暴狼藉というのは迷惑千万。酒に寛容な日本社会ですが、本当に江戸時代にもそれほど酒を飲んだのでしょうか。日常的に酒を飲むのは、むしろ近代の工業的生産が可能になってからのような気もするのですが。このあたり、理系の歴史オンチには理解の外です。
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BUN2「今から選ぶ2010年手帳」をきっかけに

2009年10月15日 06時06分42秒 | 手帳文具書斎
行きつけの文具店で、BUN2 の10月号をもらってきました。隔月刊で第26号となる今号の特集は、「今から選ぶ2010年手帳」。でも、今のところ、バイブルサイズのシステム手帳で格別不満はありませんし、手帳で夢がかなうと考えるほど単純でもありませんので、手帳を変更する予定はありません。例によって、Bindex の月間ダイアリー-1 (時間目盛入り、商品番号:No.041)を購入してきました。

ところで、文具店探訪で興味をひかれたのが、ノートです。ノートのコーナーに、コクヨの「SYSTEMIC」が置いてあり、その色合いのシックさに、つい手が出て購入してきました。A5判、割引価格で1,092円。これに、先にまとめ買いしていた、キャンパス・ハイグレード(澪ペーパー)ノートをセットして、使いはじめたところ、実に快適です。コンバータをセットした万年筆(PilotのCustom)も快調で、手書きの良さを再確認しております。

このノートカバーの特徴は、
(1) 種類の違う二冊のノートをセットして使うことができる。ただし、今のところはスケジュールはバイブルサイズのシステム手帳に統一しているので、特に用途はない。
(2) カバー地はデニムのようで、手触りがよい。
(3) 表紙にかなり深い色違いのポケットがあり、デザイン上のアクセントにもなっている。
(4) ペンホルダーはないが、しおりひもが二本ついており、表紙をゴムバンドで留めることができる。
などが挙げられます。

今のところ、ブログ・ネタ帳は B6判のらせん綴じキャンパスノート と統一しておりますが、この「Systemic」は、さまざまな記録用に使う予定です。
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愛用の万年筆にコンバータを付ける

2009年10月14日 06時02分07秒 | 手帳文具書斎
以前から関心を持ってはいたものの、ずっとご縁がなかったものに、万年筆のコンバータがあります。子どもの頃は、万年筆と言えば吸入式で、インク瓶の中につっこんでインクを補充したものでした。ところが、スペア・カートリッジ方式が登場し、出先でインク切れになったときにもすぐ交換補充できるということから、万年筆はカートリッジ式がほとんどになってしまいました。現在、使っている万年筆は、パイロットとウォーターマンがカートリッジ式で、ペリカンだけが吸入式になっています。

ところが、よくよく考えて見ると、近年は外出時に万年筆を持参することはほとんどなく、自宅や職場のデスク上でしか使っておりません。それならば、なにもインク・カートリッジにこだわることはないわけです。昔ながらの吸入式に変更するコンバータを使ってみたいと念願しておりました。

たまたま、行きつけの文具店で尋ねてみると、パイロットのコンバータ CON-50 なら在庫があるとのこと。さっそく購入してきました。希望小売価格500円のところ、割引で420円。



パイロット・カスタム(中字)のインク・カートリッジをはずし、コンバータをセットします。同一メーカーの黒のボトルインクにペン先を入れ、コンバータのつまみを回します。するとインクが吸い込まれる、というしかけです。何度かインクを出し入れしたら、今まで乾燥ぎみだったためか、インクのフローも良くなったような気がします。もう何十年も使い込み、すっかり手に馴染んだ万年筆。ちょっとしたことですが、コンバータ初体験はうれしいものでした。
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サリエリ「フルートとオーボエのための協奏曲」を聴く

2009年10月13日 05時30分52秒 | -協奏曲
先日の山形交響楽団のモーツァルト定期で聴いたオーボエ協奏曲をきっかけに、なんとなくいろいろな作曲家のオーボエ協奏曲を集めたCDを聴いております。たとえばこのアントニオ・サリエリ作曲「フルートとオーボエのための協奏曲」。こういう音楽史の逍遥が可能な点は、CD 等の録音技術の恩恵を感じるところです。

第1楽章、Allegro spirituoso アレグロ・スピリチュオーソ、と読むのでしょうか。速く、気品を持って、といったところか。オペラの序曲のような始まりです。オーボエとフルートが小鳥のように呼びかわし、ソプラノとメゾソプラノの二重唱のように、寄り添いながら技巧を聴かせます。決然とした弦楽合奏の軽やかさも楽しい。
第2楽章、ラルゴ。ゆったりとしたテンポで、弦楽のやわらかな始まり。オーボエ・ソロが入ってくるとフルートがこれに答え、二本の笛が、やっぱりオペラ・アリアの二重唱のように歌います。シンプルな中にも様々なニュアンスをこめて、ほんのり翳りをおびた曲想の転換など、まことにオペラを得意とした作曲家らしい作りです。
第3楽章、アレグレット。フルートとオーボエのデュエットから始まり、躍動的なオーケストラがこれに答え、活発なフルート・ソロが続きます。ここでは、華やかな二本の笛の掛け合いとともに、これに合わせる小編成のオーケストラの躍動感の見事さを注目しておきたいところです。

演奏は、Andre Lardrot(Ob)、アントニオ・ヤニグロ指揮イ・ソリスティ・ディ・ザグレブ。CD は、Romantic Oboe Concertos というタイトルの Briliant の2枚組(99525)。演奏データは、

■Andre Lardrot(Ob), Antonio Janigro, I Solisti Di Zagreb
I=7'10" II=7'03" III=5'20" total=19'33"



サリエリというと、映画「アマデウス」での悪役のイメージが強いわけですが、実際はどうだったのか、事実に即した、比較的公平な見方と思われる記事を探してみました。どうも、芝居や映画の筋書きや設定をうのみにはできないようで、モーツァルトの音楽を理解し、演奏の機会を与え、ベートーヴェンやシューベルトなど多くの若い音楽家を無償で育てた音楽家、という理解が公平な見方のようです。映画「アマデウス」の面白さは認めつつ、サリエリの描き方は、ややゴシップ趣味に走りすぎているように感じます。

(*1):Wikipediaにおけるサリエリの記述
(*2):サリエリはむしろモーツァルトの理解者だったのでは?
(*3):作曲家別作品紹介:サリエリ
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自宅の有線LANに無線LANを増設する

2009年10月12日 06時16分54秒 | コンピュータ
せっかく導入した Linux ネットブックを生かしたいのと、子どもたちが帰省したときに、LAN 環境で自由にコンピュータを使えるように、自宅に無線LAN ルータを増設しました。これまでは有線LANオンリーで、「ヒモ付き」生活でしたが、今度はヒモなし生活だ、との目論見です。
量販店で、無線 LAN 用のルータを物色し、コレガの CG-WLR300N という親機を購入しました。6,576円也。外観を見ると、ひじょうにコンパクトです。
フレッツ光のルータを生かし、LAN ケーブルで無線 LAN ルータの WAN 側に接続します。ただし、両方のルータ機能を併用すると、同じネットワーク内で IP アドレスのバッティングが起こりますので、無線LAN のほうのルータ機能は、背面のディップスイッチで OFF にします。

ここで、Linux ネットブック Dell Inspiron Mini10v を起動、ネットワークマネージャでネットワーク名とPINコードを入力し、セキュリティ設定を WPA/WPA2 としましたが、無線LAN が検出されません。おかしいな、と思っていろいろ試しましたが、ダメ。先の日本語入力の不備(*)を思いだし、またかよ、おい!とおかんむりになりかけましたが、ふと思い出したのが、無線 LAN ルータ背面のディップスイッチが二つあったことです。虫眼鏡で(^o^) よく見ると、一つはルータを OFF にするので良いけれど、もう一つはマルチ AP という機能の On/Off のスイッチです。はて、これはオン・オフのどちらがよいのか。そこで、説明書きの「マルチ AP 機能」を読んでみました。フムフム、要するに、このディップスイッチを OFF にしてしまうと、WEP による簡易セキュリティとなり、受信側で高度な WPA/WPA2 でセキュリティ設定をしていると、無線ネットワークが認識できないのも当然というわけですな。な~るほど!



で、上段のディップスイッチを ON に戻したら、冗談のようにあっさりと無線 LAN が認識され、茶の間でネット接続が可能になりました。今のところ、たいへん具合がよろしいようです。



念のために、電波がどのくらい飛んでいるものか、Mini10v をかかえて受信状況を調べてみました。
ちなみに、受信状況は、◎:アンテナマーク4~3本、○:アンテナマーク2~1本 で表しています。

(1) 同一室内 ◎
(2) 二階室内 ○
(3) 一階室内 ○
(4) 隣接屋外 ◎
(5) 屋外道路 ○
(6) 窓越しに見える裏の畑 ○

なるほど、屋外道路だけでなく裏の畑でさえもネット接続できるということは、セキュリティ設定が甘ければ、情報が垂れ流しも同然になるわけですね。

(*):ネットブック用の外付けDVDドライブを発注後、問題は解決!
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徳田雄洋『デジタル社会はなぜ生きにくいか」を読む

2009年10月11日 06時27分47秒 | -ノンフィクション
これはまた、そのものずばりの題名です。徳田雄洋著の岩波新書で、『デジタル社会はなぜ生きにくいか』を読みました。当方は、コンピュータやインターネット等にどっぷりと浸かった生活をしておりますが、一方で、デジタル社会は生きにくいという感覚を持つこともあります。
たとえば、銀行のATMは苦手ですし、コンビニの多機能ATMなどは、恐ろしくて近づこうとさえしない(^o^)/ ほどです。ふだんは自動車で通勤しておりますので、出張で鉄道の新しい駅で、新型の自動券売機や自動改札を通るときには、ドキドキしてしまいます。職場で、新しく導入されたばかりのコピーやプリンタの不調などには、頼まれなくても手を出す親切心を感謝(?!)される一方で、自宅や単身赴任先では、とっくに最低保証年限を過ぎた電器製品を、だましだまし使っているような状況です。
そんな中年おじんにとって、本書はデジタル社会の本質を理解することで、考え方を整理できる好著です。
本書の構成は、つぎのようになっています。

序章 1984年の日本とアメリカ
第1章 デジタル化した世界
第2章 情報機器との格闘
第3章 情報洪水の中で
第4章 困難は作られる
第5章 デジタル社会を生き抜く
おわりに
付録 パスワード管理法

技術的なことには、なんとか対応できるような気がします。でも、社会的な変化は、今後とも対応していけるかどうか、あまり自信がありません。
ただし、そんな大雑把な話よりも、「電子メールはハガキであり、ハガキに重要な情報を書く人はいない」などの認識の積み重ねが重要なのだろうと思います。その意味で、「3 生きるための心構え」(p.170~)

(1) 半分信用し、半分信用しない
(2) 必要な知識や情報を得て、自分を守り、他人の立場を尊重する
(3) 自分ですることの境界線を定める
(4) 利用することや利用しないことの境界線を定める
(5) 危険性を分散し、代替の方法を持つ
(6) 依存しすぎない

などの項目は、まことにもっともだと思います。そして、(6) の主張を読んでいると、かつて読んだ本、クリフォード・ストール著『インターネットはからっぽの洞窟』(草思社)を、つい思い出してしまいます。さて、私も画面を消して、畑に出ることにいたしましょう。

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私の好きな「第5番」

2009年10月10日 05時23分28秒 | クラシック音楽
クラシック音楽のオールジャンルから作曲家1人につき1曲ずつ、好きな曲を合計10曲を選ぶという試み、『私の好きな「第5番」』です。この番号以降は、シューマンとブラームスの曲が出にくいので、ちょいと寂しいのですが、それでもそうそうたる顔ぶれです。

J.S.バッハ ブランデンブルグ協奏曲第5番
モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」
ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」
ドヴォルザーク 交響曲第5番
チャイコフスキー 交響曲第5番
ブルックナー 交響曲第5番
マーラー 交響曲第5番
プロコフィエフ 交響曲第5番
ショスタコーヴィチ 交響曲第5番
マルティヌー 交響曲第5番

【次点】
シューベルト 交響曲第5番
シベリウス 交響曲第5番
オネゲル 交響曲第5番

バッハのブランデンブルグ協奏曲は、およそ40年前の高校生のころ、ジャック・ルーシェ・トリオとオーケストラの共演を収録した録音で、初めて知ったものでした。活力に富む演奏でこの曲が大好きになり、カール・シューリヒト指揮するコンサートホール盤で、全曲を聴くようになった、そのきっかけになった曲です。
モーツァルトは、もうこれ以外にないという選択でしたが、ベートーヴェンで迷いました。ピアノ協奏曲第5番「皇帝」やチェロソナタ第5番もあり、最終的には、一番聴く回数の多い「スプリング・ソナタ」に決定。別に季節が春でなくても、ほっとしたいときに、年中聴いております。もちろん、「運命」交響曲も名曲であることに異論はないものの、第1楽章を脳内演奏ですっとばし、もっぱら第2楽章から聴き始めるというていたらくですので、候補からは外しました(^o^;)>poripori
あとはずらりと交響曲が並びますが、ベートーヴェン以降、交響曲第5番というと、力の入った曲が並ぶようで、なんだか壮観です。ドヴォルザークとシューベルトとオネゲルの3曲から1曲を選ばなければと考えて、ずいぶん悩みました。ここは、エエイッと清水の舞台から飛び降りる気持ちで(^o^)/
チャイコフスキーの長大なホルン・ソロやブルックナーの推進力、あるいはマーラーの耽美的な魅力、マルティヌーの独特の響きと息の長いクレッシェンドなど、どれも素晴らしい音楽ばかりですが、この中で特に、といえば、私はやはりプロコフィエフの交響曲第5番がお気に入りです。
バルトークの弦楽四重奏曲やヴォーン・ウィリアムズの交響曲など、そのほかにもたくさんの名曲があるのでしょうが、残念ながらあまりじっくりと聴いたことがありません。今後の楽しみといたします。

(*):「私の好きな第○番」の過去記事 ~ 第1番第2番第3番第4番
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余ったSDカードの使い道

2009年10月09日 05時54分46秒 | コンピュータ
先に愛用のデジタルカメラ用にと購入したものの、ファイルシステムの不適合か、使えないことがわかり、余ってしまっていた 4GB の SDカード(*)、最近、思わぬ使い道があることが判明しました。

発端は、先ごろ購入した Dell の Linux ネットブック Inspiron Mini10v です。日本語入力の問題が解決し、便利に使いはじめるうちに、ふと SD カードスロットの存在に気づきました。そういえば、自宅の Linux デスクトップ hp の s3450jp/CT にも、SD カードスロットがありました。4GB という巨大な容量のフロッピーディスクのように、メディアでデータを運ぶことが可能です。

SD カードといえば、デジタルカメラをすぐに連想しますが、よく考えれば MP3 や Ogg Forbis 形式の音楽データ等の媒体としても使えます。わが Inspiron Mini10v は、ハードディスクを持たず、8GB の SSD 上で Ubuntu Linux が動作していますので、音楽データのようなファイルを SD カードにまかせられれば、ずいぶん空き容量を節約できそうです。幸い、当方はコピー回数を制限されるようなファイルは持たず、使わず、欲しがらずにやっています。これはありがたい発見です。



(*):容量が大きいのは有難いが大きければ良いというものでもなさそうだ~「電網郊外散歩道」より
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江戸時代の日本画とプルシアンブルー

2009年10月08日 06時21分54秒 | Weblog
読売オンラインの記事(*1)によれば、江戸時代の日本画家、伊藤若沖の絵に、プルシアン・ブルーが使われていることがわかったそうです。「若沖 奇想のブルー、群魚図で舶来人工顔料使用」などと題された新聞記事のほうにはカラーの写真が掲載されており、なるほど、「ルリハタ」の鰓の付近に青い色が使われているのがわかります。下地にプルシアンブルーを用い、その上に墨で模様を描いているのだそうで、効果的な着色と感じます。

この「群魚図」(*2)の左下隅に描かれた「ルリハタ」という魚のほぼ全面に、プルシアンブルーの成分である鉄が、蛍光エックス線分析で確認されたとのこと。プルシアンブルーというと、その昔、中学生の頃にいたずらした、青写真の実験でおなじみの物質です。たとえば鉄(III)イオンFe3+ にヘキサシアノ鉄(II)酸イオン[Fe(CN)6]4- を加えると生じる、あの濃い青色の沈殿。発見されたのが1704年のドイツといいますから、たぶんその数十年後に日本に輸入され、若沖やその他の画家らによって使われたのでしょう。鎖国の時代、人の出入りは禁じられていましたが、こうした人工顔料が入っていたということは、文物の輸入はかなりあったということなのでしょう。

ただし、Google で「ルリハタ」で画像検索すると、これはまた鮮やかな青色で、必ずしもプルシアンブルーのような暗い青色ではないみたい。このあたりは、写実的な意味でプルシアンブルーという顔料を選び使ったのではないのかもしれません。

(*1):若沖の一幅、「プルシアンブルー」で彩色か~「読売ONLINE」より
(*2):「皇室の名宝展」の『動植綵絵』
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VineLinuxのウィンドウマネージャをxfceに変更~確かに軽くなった

2009年10月07日 05時36分47秒 | コンピュータ
単身赴任先のコンピュータ環境ですが、使い慣れた VineLinux が便利ではあるのですが、なにせ NEC Valuestar NX (VE40H/8, 400MHz, 320MB-RAM) という、今となっては非力なマシンです。メモリ増設は済ませたものの、ウィンドウ・マネージャ gnome の動作が重くて、もっさりした印象でした。
そこで、重たい gnome ではなく、もっと軽いウィンドウマネージャを探すことに。VineLinux は、ずっと以前には WindowMaker などを使っていたのですが、さすがにそこまで先祖返りはいたしませんで、xfce というのを試してみようと考えました。

$ su
パスワード: xxxxxxxxxx
# apt-get update
# apt-get install task-xfce

で、ログアウトして「セッション」で xfce を選び、ログインしてみると、かなり軽い感じです。機能的にも、PrtScr キーで screenshot が取れないだけで、これなら実用的に使えそうです。パネルの設定で、上下のパネルの大きさを少々小さくし、下のパネルを「自動的に隠す」に設定して、ブラウザの表示行数を確保しました。また、スクリーンショットの件は、Gimp の「取り込み」で実現できます。単身赴任先の非力なパソコンには、VineLinux + xfce、うん、どうやらこれで決まりだね。



こんなふうに、ハードウェアに適したウィンドウマネージャを選択して使えるというのも、Linux 環境の長所かもしれません。
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自分なりに続けるということ

2009年10月06日 05時34分44秒 | ブログ運営
面白く読んでいても、残念ながら途中で途絶えてしまうブログがあります。推測される原因は様々で、環境の変化で多忙になったり、スパムや無遠慮なコメント等に嫌気がさしたり、楽しさよりも義務感が勝るようになって負担感が増したり、テーマが狭すぎてネタ切れになったり、という具合でしょうか。自分なりに続けるということが大切だとは思いますが、実際は、努力すればなんとかなるというものでもないのかも。日頃おじゃましている多くのブログの主宰者の方々は、どんなふうに工夫し継続されているのか、興味深いものがあります。

ところでここからは、まことに無粋な机上の計算。1年350日、1日1本の記事を書くのに、平均して毎日30分かかるとすると、単純計算で175時間となります。ここいらへんが、なんとか努力すればできる限度なのかもしれません。これが日に2本とか3本とかのレベルになると、努力してなんとかなるというものではあるまいと思われます。例えば日に1本なら平均30分でもすむでしょうが、日に2本の記事を書くには倍の60分ではすまない。たぶん、五割増の時間がかかることでしょう。これが日に3本となると、記事のネタを仕込むのも一大事で、90分どころかさらに倍の3時間でも不足すると思われます。このペースを続けるのは、普通の職業生活を維持しながらでは無理で、ほとんど専業でないとやれないと思います。

もし、1年350日くらいのペースで記事更新を10年間続けられたと仮定すると、毎日30分ずつ、日に1本のペースで3,500本の記事ができます。継続は力といいますから、素人の文章でも、一定のレベルに達することができるかもしれません。これが日に2本のペースを10年間続けたとすると、10年で7,000本となります。これには努力のほかに、生活のゆとりと才能も必要なのでは。さしずめ、セミプロ級と言えるでしょうか。もし1日に3本のペースで記事を生産し続けることができるなら、10年で10,500本。これはもう、間違いなく専業プロ級だと言えます。

ここでは本数に単純化しましたが、記事に費やす時間を記事の質に置き換えることもできます。実際問題として机上の計算どおりにはできないことですし、そもそも十年後には、ブログというメディアは消滅している可能性が高いとさえ思われるのですが、自分なりに続けるということの意味を、いかにも理屈っぽい理系らしく、時間と記事本数という角度から数量的にとらえてみました。いかがなものでしょうか(^o^)/
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外山滋比古『思考の整理学』を読む

2009年10月05日 05時34分57秒 | 手帳文具書斎
ちくま文庫で、外山滋比古著『思考の整理学』を読みました。2008年大学生協調べで、「東大・京大で一番読まれた本」という帯のコピーに、まんまと引っかかった読者の一人です(^o^)/

本書の構成は、こんなふうになっています。

I. グライダー/不幸な逆説/朝飯前
II. 醗酵/寝させる/カクテル/エディターシップ/触媒/アナロジー/セレンディピティ
III. 情報の"メタ"化/スクラップ/カード・ノート/つんどく法/手帖とノート/メタ・ノート
IV. 整理/忘却のさまざま/時の試練/すてる/とにかく書いてみる/テーマと題名/ホメテヤラネバ
V. しゃべる/談笑の間/垣根を越えて/三上・三中/知恵/ことわざの世界
VI. 第一次的現実/既知・未知/拡散と収斂/コンピューター

冒頭の「グライダー」で、自分で物事を発明・発見し、論文をかけるようにならないと、コンピューターに仕事を奪われますよ、と導入し、最後の「コンピューター」の章では、記憶と再生に頼るのではなく、創造性が大切、と訴えます。この主張に対応する、様々な思考の特質とノウハウを紹介した内容になっています。著者は、1923(大正12)年生まれの世代らしく、手作業に基づく考察を展開している点で、パーソナル・コンピュータやソフトウェア、コンピュータ・ネットワークなどを取り入れた思考と生産のノウハウを紹介した野口悠紀雄氏の著書とはだいぶ肌合いが異なります。インターネットにどっぷりとつかった人間には、実用的な意味合いは薄いかもしれません。
ただし、II.で紹介される、時間をおいて醗酵させることや、異質なものを比較し・混合し・連想する意味などは、思考の特質をうまくとらえたものと思いますし、V.で指摘される、話すこと・仲間の価値・過去の知恵などは、本当に大切な指摘だと思います。III.のカードやノートやスクラップなどは、いささか古典的と言うか、古色蒼然たる感を免れません。IV.の整理・忘却・すてる、などの内容は、常識をひっくり返した面白さが、気が利いています。
ブログ等で記事を書く立場から言えば、「とにかく書いてみる」「テーマと題名」は参考になりますし、「ホメテヤラネバ」の章はまことにそのとおり。当方も、多くの読者の方々に、過分のおほめをいただき、ここまで書き続けることができました。

総じて、古い世代の碩学が、コンピュータを意識し、コンピュータにはできない、人間らしい思考の特質とノウハウを、親しみやすいエッセイの形で紹介した本であると言えます。ある世代には、「何を今更、当然でしょ」、という感を持つでしょうし、デジタルエイジにはたいへん新鮮に映ることでしょう。現代のデジタル書斎における実用的な意味では?ですが、思考の特質を把握することができるという意味において、面白い本です。
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山響モーツァルト交響曲全曲演奏会Vol.8でオーボエ協奏曲とト短調交響曲等を聴く

2009年10月04日 06時01分33秒 | -オーケストラ

週末の午後、妻と山形交響楽団のモーツァルト交響曲全曲定期演奏会Vol.8に出かけました。朝方の雨も上がり、午後には上天気となりましたので、余裕を持って出かけ、開場前に到着してしまいました。入り口には、なぜかテレビカメラの取材クルーが二組も待機しており、なにやら録画している模様。




ホール内の掲示によれば、放映予定は次の二回とのこと。
(1) 2009年10月17日(土)、朝8時00分~、読売テレビ系「ウェークアップ!ぷらす」(YBC山形放送)
(2) 2010年1月3日(日)、朝4時25分~、朝日放送系「新春クラシック2010」(YTS山形テレビ)



さて、本日のプログラムは、


■交響曲第7番ニ長調K.45
■オーボエ協奏曲ハ長調K.314
■交響曲第40番ト短調K.550


の3曲です。開演前のプレトークで、音楽監督・飯森範親さんが解説したところによれば、交響曲第7番は、ウィーンで姉ナンネルとヴォルフガング(12歳)の二人とも天然痘に感染してしまい、秋から冬までずっと具合が悪かった、そんな状態で書かれたものだそうです。それにしてはずいぶん演奏が難しい部類だそうな。オーボエ協奏曲は、20代の若い山響オーボエ奏者・佐藤麻咲(まさき)さんの出演。交響曲第40番は、当時、貧困にあえいでいたモーツァルトが書いた傑作の一つで、当時の聴衆には受け入れがたい作風も登場し、聴衆が離れていく、そんな様々な悩み・苦しみも表す曲。20世紀のモーツァルト演奏は、だいぶ脚色されてしまったと感じる。モーツァルトの時代の演奏様式に近づけ、テンポは速めに。18世紀の短い弓で、楽譜にあるスラーの指示を生かすには、テンポは速く取らざるを得ない、とのことです。

開演の時刻になり、例によって女性奏者は色とりどりのドレスで登場です。指揮台を中央に、左手に第1ヴァイオリン、コンサートマスターは高木さん。その奥にチェロ、右にヴィオラ、指揮台右手に第2ヴァイオリンと対向配置スタイル。交響曲第7番の楽器編成は、パンフレットの解説によれば、Ob(2), Hrn(2), Tp(2), Timp, 弦5部となっておりますが、これに加えて、清楚な水色のドレスがよく似合う、ファゴットの高橋あけみさんが加わっています。
さて、交響曲第7番、第1楽章。モルト・アレグロ、ニ長調、4/4拍子。イタリア風な、溌剌とした音楽です。第2楽章、アンダンテ、ト長調、2/2拍子。弦5部のトップ奏者だけで、まるで室内楽みたいに、指揮なしで演奏します。2nd-Vn のヤンネ館野さんが細かくリズムを刻み、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが中~低音部を支え、第1ヴァイオリンが旋律を奏でるというしくみです。第3楽章、弦5部に管楽器も加わり、3/4拍子、ニ長調のメヌエットです。第4楽章、モルト・アレグロが通例となってはいるものの、快速に演奏される、2/4拍子、ニ長調の溌剌としたフィナーレです。なるほど、わずか12歳の少年の作品とは思えない、なかなか魅力的な作品です。

次はオーボエ協奏曲です。独奏オーボエと Ob(2), Hrn(2), 弦5部 という具合に編成が縮小され、しかも第1・第2ヴァイオリンともに第3プルトまで、という具合に小さくなっています。ソリストの佐藤麻咲さん、真紅のドレスで登場。喉元と腰のあたりに、素敵な大輪のバラが咲いています。いつも弦楽の後ろに座っていますので、小柄な方なのかな、と思っていましたが、どうしてどうして、スラリと背が高いのですね。認識を新たにいたしました。
第1楽章、アレグロ・アペルト、ハ長調、4/4拍子。オーケストラの溌剌とした始まり。そして、独奏オーボエが、駆け上がるようなパッセージからいきなりのロングトーン。これでもう、オーボエの魅力が全開になります。軽やかだが緊張感に満ちた素晴らしいカデンツァ。あの(たぶん難しい^o^;)高音も決まり、第2楽章へ。3/4拍子、ヘ長調、アンダンテ・マ・ノン・トロッポ。葦笛のようなオーボエの音色の魅力を発散する、それはそれは素敵な緩徐楽章です。オーケストラの出番のときを利用し、リードを調整しながら第3楽章へ。2/4拍子、ハ長調、アレグロの指示のある、さらに軽快なロンド・フィナーレです。
素晴らしい演奏を終えて、マエストロの労いを受けた後で、コンサートマスターの高木さんや犬伏さんとも笑顔を交わします。犬伏さんも満面の笑み。いつもチューニングで息を合わせることの多い楽団のお姉さん(^o^)/ に祝福されて、ソリストもほんとに嬉しそう。

休憩の時間にも、コントラバスの三人の奏者がなにやら打ち合わせや調整を行います。客席を見渡すと、聴衆の年齢層はずいぶん多様で、若い人も多く見られます。大都市のオーケストラの定期演奏会の場合は、チケットのお値段もずいぶんと高額ですので、経済力のある人しか集まらないのだろうと思いますが、山響では、若い人もちょっと頑張れば聴きにくることができる、という点が大きいのでしょう。

さて、本日のプログラム最後の曲目、第40番K.550、ト短調交響曲です。始まりは、モルト・アレグロ、2/2拍子、ト短調、ソナタ形式の第1楽章です。速めのテンポにまったく違和感はありません。続く第2楽章、アンダンテ、変ホ長調、6/8拍子。クラリネットは加わっておりませんが、木管楽器が活躍し、優しい表情が特徴的な音楽になっています。でも、背後では各パートの細かな動きがあります。第3楽章、アレグレット、ト短調、3/4拍子。たしかに、ちょいと異色のメヌエットというべきか。ただ優雅なだけではなく、左手が動き回るコントラバスの活躍に思わず注目です。低音部までバランスの取れた、見事な響きになっています。第4楽章、アレグロ・アッサイ、ト短調、2/2拍子。フィナーレまで息の抜けない、たいへんに緊張感に満ちた、見事な音楽に集中した時間でした。演奏直後の、飯森さんの厳しい表情が、集中力に富んだ演奏の密度を物語っていました。

終演後のファン交流会で、オーボエソロをつとめた佐藤麻咲さんのインタビューが面白かった。実は、去る8月13日に、自転車で転んで左手の肘のあたりを骨折したのだそうです。手術を受けてリハビリに努め、ようやく本番に間に合わせたのだそうな。ご本人はお目々をくりくり動かしてお茶目に語りますが、リードを削ることもできない時期を乗り越えての演奏、周囲の心配もたいへんなものだったでしょう。なるほど、それで犬伏さんのあの表情になるわけですね(^o^)/ shinpai-shitanoyo~




飯森さん、ヨーロッパでも4つくらいのオーケストラと40番を振っているそうですが、今日はその中でもかなりすごい出来だった、と満足の様子。確かに、私もそう思います。ほんとに素晴らしい演奏会でした。
そして、帰りにはこじんまりした寿司屋さんに立ち寄り、美味しいお寿司を握ってもらい、大満足。いい一日でした。

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メーカー製に不備があり、オープンソースが円滑に動作するという現実

2009年10月03日 05時32分19秒 | コンピュータ
デスクトップPCでは、Ubuntu にしろ VineLinux にしろ、ほぼ満足できるレベルで、日常的に使えております。これは、製品の標準化が進み、よほど先進的なパーツでない限り、ドライバの問題は発生しにくくなっているためと思います。
これに対しノート型では、とくにコストダウンが厳しく要請されるネットブックの場合は、Linux の導入には様々なドライバの不備などが発生するようで、人柱となる広~い心は、いまひとつ持てませんでした。
そんなときに、デルが UbuntuLinux をプリインストールしたネットブックを発売するに及び、これならばドライバ等の問題は起こり得ないだろうと考え、注文したのでした。ところが、結果的には日本語入力が使えないため、自力で設定変更というはめになり、なんだかな~と複雑な心境です。

昔は、メーカー製のもののほうが信頼性が高く、手作りのものは今ひとつ信頼性が低い、という印象を持っておりました。ところが、現状はまるで逆です。メーカー製のほうに、日本向け商品としては本質的な不備があり、オープン版のほうが問題なく使えているというのです。偶然なのか、それとも、より多くの目で点検されるオープンソースの本質的な長所を表しているのか。たいへん興味深い事態です。

写真は、日本語再設定を済ませ、便利に使えるようになった(*)、Dell Inspiron Mini10v と Logitec のリードオンリー型の DVD ドライブ。同じ赤色で統一してみました。色合いはやや異なり、Dell のチェリーレッドのほうが、中年オジン向きの、落ち着いたいい色に感じられます。

(*):ネットブック用の外付けDVDドライブを発注後、問題は解決!
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VineLinuxというディストリビューション

2009年10月02日 05時35分45秒 | コンピュータ
長年使い慣れた FMV-6450CL3(VineLinux3.2) が故障し、やや力不足の代替機に見合うディストリビューションを試してみましたが、結果的には馴染み深い VineLinux の 4.2 を、単身赴任の宿のメインとして新規にインストールして使っております。

考えてみれば、VineLinux は 1.1 の頃から使っております。初めて Linux に触れたのが『るんるんLinux』で導入した FM-TOWNS 用 Slackware3.0 で、Debian を経て DOS/V 機で VineLinux1.1 を使い始めたのでした。世の中が Windows95 から 98 に移行した時期だったでしょうか。
この頃は、ハードウェアのサポートも充分ではなく、枯れたパーツでないと動かないのが実状で、たまたま購入してきた PCI の LAN ボードを認識してくれず、テキストエディタで設定を記述してようやく動かした記憶があります。
フォントまわりの貧弱さから、VineLinux2.0 の市販パッケージを購入したら、販売店ではある程度の規模の会社の製品でないと、先行きが不安で扱えない、などと言われたものでした。しかし、その後も 2.1, 2.5, 2.6, 3.1, 3.2 と使いつづけ、ハードウェアの能力ではこのあたりが限度だろうと、以降のバージョンアップは打ち止めにしておりました。

この中で画期的だと思ったのは、たしか 2.5 以降の、apt コマンドの採用でした。もともと Redhat 系である VineLinux が、Debian 系の apt コマンドを採用してくれたおかげで、apt-get コマンド一発で update, upgrade が完了しますし、パッケージの依存関係にも悩まずにインストールすることができます。さらに、現在は Synaptic で GUI を用いて操作することが可能になっています。

もう一つ、TeX/LaTeX システムを中心とする日本語化のきめ細かさは、さすがの伝統です。今は、フリーのフォントもだいぶ改善され、StarSuite/OpenOffice.org などの出力結果もずいぶんきれいになっています。
Celeron(400MHz)+320MB-RAM というスペックでは、VineLinux4.2 はずいぶんもっさりしてはいますが、さりとてまたマシンを増やすと、単身赴任を終えて自宅に戻ったときに困ることになります。旧型機の活用で、今の時期をなんとかしのいでいきたいものです。
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