
吉田妙子さんとご一緒に曙街に向かう途中県の文化関係部局のKさんから携帯に電話があり彼も場所が分からないという事でピックアップして向かった。車の中では「親雲上ハ太郎と玉那覇クルルン」の話で盛り上がった。まだ爪が甘いけれど、面白かったで話題は収束した。謝名元慶福さんともメールを交換しあったが、おおむね期待したより面白かったの声が多いのだろうね。
さて、真喜志康忠氏の遺影の前で2時間も過ごしていた。御一緒した妙子さんは真喜志ハ重子さんと以前「ときわ座」でご一緒だったので、お話が弾んでいた。妙子さんはやはり女優の風格をその身体で醸している女である。ハ重子さんは懸命にお子様方を育ててこられた母親の誇りと自信をその小さく見えたお身体に醸しておられた。彼女の本音のことばは心にじわりとしみてきた。強い女は強い母親だった。
人間の様々な葛藤、と書くことは何と陳腐なんだろう。ことばで表わしえないものが滴りおちる。どれだけことばは実像を、人間の感情の嵐を生き死にの地獄を喜悦を書き表わしえるのだろうか?真喜志康忠という戦後沖縄が生み出した沖縄芝居役者の生きざまの、その修羅を美を理想を、口惜しさを、描くこと、それは戦後沖縄史であり、沖縄の「もがきそのもの」でもあったという事は確かである。1人の人間の宇宙的な広がりがあり、葛藤の深さもある。夫と妻の関係の絶対性、家族の関係の絶対性のようなものがあり、それぞれが見つめてきたこの時のたゆたう流れがある。【草枕】、夏目漱石のその作品を真喜志氏のご三男がお話された時、単に作品そのものを思い描いていた。漱石にもう一度向き合いたい。草枕である。心の奥底まで共有できる魂の淵を求めてやまない、されど、孤独な壁を自ら造って、人は果てるのだろうか?人それぞれの心の淵に何があるのだろうか?
「一緒に添い寝をしてキスをしたよ、でも冷たかった。私の所に帰ってきた」。一瞬サルトルの死骸と添い寝をしたボーヴォワールを思いだした。好きな者と添い寝をする。死の旅立ちにーー。わたしのそばには「虚」だけが添い寝していた、という人が多いのだろうか?好きな男/好きな女という「幻想」が、添い寝をするのかもしれない。やはり人は一生恋をして恋に死ねる人は幸せなのかもしれない、などと思っていたりする。まだーー。
戦後沖縄で沖縄の土着を体現して生きてきた俳優の姿、寂しがり屋だったとハ重子さんが話した役者の姿、苦しかったはずよ、と語ったことばの中に秘められたもの、島小を生きねばならなかった沖縄の役者の闘い、ハ重子さんはその先を見据えていた方だったのだ。
結局吉田妙子さんは若者芸人たちの忘年会の席に立ち、Kさんは県のお仕事の残業のために先になり、私はそこに留まりハ重子さんのお話に耳を澄ましていた。可愛い12歳の少年に会った。愛らしい瞳がお母さんにそっくりだった。命の継承、魂の継承、人は生き人は死ぬ。永遠の生を生きえる人間の苦しみーー。このモメント、あなたは何をしているの?
さて、真喜志康忠氏の遺影の前で2時間も過ごしていた。御一緒した妙子さんは真喜志ハ重子さんと以前「ときわ座」でご一緒だったので、お話が弾んでいた。妙子さんはやはり女優の風格をその身体で醸している女である。ハ重子さんは懸命にお子様方を育ててこられた母親の誇りと自信をその小さく見えたお身体に醸しておられた。彼女の本音のことばは心にじわりとしみてきた。強い女は強い母親だった。
人間の様々な葛藤、と書くことは何と陳腐なんだろう。ことばで表わしえないものが滴りおちる。どれだけことばは実像を、人間の感情の嵐を生き死にの地獄を喜悦を書き表わしえるのだろうか?真喜志康忠という戦後沖縄が生み出した沖縄芝居役者の生きざまの、その修羅を美を理想を、口惜しさを、描くこと、それは戦後沖縄史であり、沖縄の「もがきそのもの」でもあったという事は確かである。1人の人間の宇宙的な広がりがあり、葛藤の深さもある。夫と妻の関係の絶対性、家族の関係の絶対性のようなものがあり、それぞれが見つめてきたこの時のたゆたう流れがある。【草枕】、夏目漱石のその作品を真喜志氏のご三男がお話された時、単に作品そのものを思い描いていた。漱石にもう一度向き合いたい。草枕である。心の奥底まで共有できる魂の淵を求めてやまない、されど、孤独な壁を自ら造って、人は果てるのだろうか?人それぞれの心の淵に何があるのだろうか?
「一緒に添い寝をしてキスをしたよ、でも冷たかった。私の所に帰ってきた」。一瞬サルトルの死骸と添い寝をしたボーヴォワールを思いだした。好きな者と添い寝をする。死の旅立ちにーー。わたしのそばには「虚」だけが添い寝していた、という人が多いのだろうか?好きな男/好きな女という「幻想」が、添い寝をするのかもしれない。やはり人は一生恋をして恋に死ねる人は幸せなのかもしれない、などと思っていたりする。まだーー。
戦後沖縄で沖縄の土着を体現して生きてきた俳優の姿、寂しがり屋だったとハ重子さんが話した役者の姿、苦しかったはずよ、と語ったことばの中に秘められたもの、島小を生きねばならなかった沖縄の役者の闘い、ハ重子さんはその先を見据えていた方だったのだ。
結局吉田妙子さんは若者芸人たちの忘年会の席に立ち、Kさんは県のお仕事の残業のために先になり、私はそこに留まりハ重子さんのお話に耳を澄ましていた。可愛い12歳の少年に会った。愛らしい瞳がお母さんにそっくりだった。命の継承、魂の継承、人は生き人は死ぬ。永遠の生を生きえる人間の苦しみーー。このモメント、あなたは何をしているの?