![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/f3/f6ca836ba0b52b9968ce4a9f2633741b.jpg)
作者の大城貞俊さん、演出家の幸喜良秀さん、ジャーナリストの由井晶子さん、司会の崎山律子さん、それぞれの思いが似ているようで異なる言説を目撃した二時間弱だった。
幸喜さんは以前から沖縄の身体表象にこだわってこられた演出家で、大城立裕さんとのコンビの舞台は実験劇場の沖縄芝居(史劇、歌劇)から新作組踊まで多様に舞台に花を咲かせてきた。それゆえに、沖縄のことば、沖縄の身体、沖縄の風にこだわっておられる。昨今の新作沖縄芝居の時代劇は、どうも新劇風の型芝居の雰囲気だが、それでも氏が沖縄の個性を、まさに総合芸術の中に、沖縄の歴史・文化そのものを結晶化させているのは疑いようがない。その持続的な演出活動は、まさに沖縄の戦後をそのまま描き出している。
現代劇である。現代沖縄芝居、現代組踊(詩劇)を氏はこの20年間ひたすら生み出してきたのだ。大城立裕さんとスクラムを組んでやってきた。大城立裕さんのすごさは、というより氏の創作方法論やこの間の舞台芸術への向き方を作品論としてまとめたいと考えているが、その大城立裕さんと大城貞俊さんとの違いが露呈していた。貞俊さんは、すでに立裕氏が80年代にやってのけたことを今回、「でいご村から」で作者としてかかわったのである。貞俊さんに立裕さんほどの言語認識における使命感は感じられなかった。彼にとってはウチナーグチは単に心情の吐露でしかないし、永遠に方言なのである。脚本も小説をほどいたもので、日本語で書かれている。それをウチナーグチのテキストにしたのが、桑江常光さんである。
すでに新作組踊を立裕さんは、琉球語で創作し、10作以上が上演された。貞俊さんに、その意欲は感じられなかった。あくまで小説家であり、その基軸における言語感覚である。方言=心情表出である。
今回はじめて「創造」はすべてウチナーグチで「うちなー芝居」として戦争の記憶のありかを問う新作に挑んでいる。沖縄現代演劇協会はすでに「尚徳王」や他、ウチナーグチ芝居としてやってのけた。それが実に面白かったのである。その点現代劇の老舗の「創造」は遅かった。島クトゥバやウチナーグチのブームにのった、ということでもないのだろう。きわめて沖縄のアイデンティティーのなせる流れだとみているが、ブームとは危機的状況の裏返しである。
大城貞俊さんのお話しで興味をもったのは、戦争の記憶を風化させないためのシンボリズムとしての物、である。その物が真っ赤に咲く「でいご」だというのである。デイゴの花が咲くとき、戦争の赤い炎、赤い血を思い出そうという、メッセージがこめられているという。とはいうものの、すでにして、由井さんが話したように、1945年、戦争の時でいごは真っ赤に咲いていたのだという。でいごが真っ赤に咲くと、旱魃になり、不穏の予兆を示しているということはすでに既知である。でいごが真っ赤に咲くと、旱魃になるのだからー。そのでいごが県花である。沖縄はでいごの花と共に何かに襲われ続けるのだろうか?最近はでいごの花もあまり見えなくなった。ゆえに大城さんの物に、でいごに戦争の血の記憶を語らせよう、の比喩性は、すでに破たんしているように思える。すでにして、でいごの花は予兆性をおびてそこにあるということになるからだ。
県花を変える必要があるのかもしれない。伊集の花などが県花でもいいね。真白に咲く伊集の花はいいね!毎年うりずんの5月には目を楽しませてくれる。でいごは見えない。伊集の花を植えよう。
由井さんのお話しは50年代から60年代の東京での御体験など、興味深かった。沖縄の芸能が中央でどう受け止められたか、またレクラム舎が演じた「人類館」の後でテアトロに紹介されたのか、岸田戯曲賞を受賞したのだった、その辺がツイターを見ていたので、頭をかすめたままだ。彼女の話の中でハワイ留学帰りの知識人女性たちの言語認識への評価や、かまどーぐゎーの女性たち、30代40代への期待が語られたが、80歳の由井さんの熱い希望の光に見えるのだろう。光は意外と身近にあるのかもしれない。ハワイの現状と比べてみるとき、まだまだ沖縄の根にあるものはハワイの比ではないと思う故に、特別とてもユニークには思えないので、意外だった。隣の芝生は青い、しかし、自らの根を泉を見るとそこにもっときらきら光る物があった、も、ありえるね。他者を鏡にして自らが見えてくるのも確かだが、特別ハワイを経由する必要はない。自決権と言語復興の相乗性の明日はどう推移するのだろうか?
司会の崎山さんは、ウチナーグチで話さない。生者と死者たちを同じ座談の場に据えることができる大胆な方の志向がどの辺にあるのか、「でいご村」を応援したい、その情熱は伝わってきた。