志情(しなさき)の海へ

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伝説劇「姫の仇討」が斬新で良かったですね。「薬師堂」は主役が少し物足りない と感じたのだが⁉️

2018-12-30 02:36:55 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

(新城喜一、栄徳顕彰公演より) 12月28日、国立劇場おきなわ

姫(真音金)知念亜希、妃(ウナジャラ)赤嶺啓子が良かったね。組踊にもある、我瀬之子の悪役ぶり、嘉数道彦が狡い悪役を、いかにもで、堂々とカッコよく演じましたね。

この説話なり組踊はあまり上演されてはいないが、姫が仇討ちをする物語は、「落城」もあり他にも創作がある。悪役の悪知恵、奸計で米次按司が殺害され、城が乗っ取られるが、百姓の助けを得て娘が大木に手を広げて抱え込んだ我瀬之子を絡めとり、仇討ちをする。

組踊では大木に両手を広げた男の手を釘で打ち込み、成敗することになっていたと、記憶している。この舞台より残酷な筋書きである。

クールな悪役に誰も喝采をしないが、我こそは天下をとると、野心満々に嘉数は意気揚々と演じた。一方お姫様は、直感で男の野心を嗅ぎ付けた。ウナジャラの赤嶺啓子も品よく演じていた。

城攻めにしては臣下、手下が少ない点は物足りなかった。何しろ花道もあり、沖縄芝居に最適に見える国立劇場おきなわ、なので、城の守りの従者も攻める側もその三倍の立役がいた方がいい。リアリティーの問題だ。

衣装が目を引いた。我瀬之子の紫色の着物、姫のうち袖の中の赤い着物など目を楽しませた。

舞台美術の華やかさと手堅さが浮き出ていた。

「薬師堂」は主役に少年少女の幼さが感じられた。恋する者たちの浮き立つ青春の蕾と、組踊の「手水の縁」の様式の美しい所作の型とのズレが気になった。

歌は鍛練した事がうかがえたが配役のミスマッチがあったように思えた。皆さんギャラなしのボランティアで、年末の忙しい時期に稽古し国立劇場の花舞台を飾った。お疲れ様!

地謡は評判の新垣さんと仲村さんである。芝居の地謡も抜擢してほしい。

芸術監督で沖縄芝居にも数多く出演する嘉数さんのスーパーパワーは、組踊伝承者や琉球舞踊家のみなさんのモデル(模範)になっている昨今の傾向ー?創作、演出、そして役者、オールマイティーな芸能者の力量は飛びぬけている。Competency(コンピテンシー)が高い!同様金城真次さんも、扇寿会の師範で組踊伝承者、三線や太鼓、筝曲と器楽もこなし、そして沖縄芝居にと活躍している。同じ扇寿会の先輩格だった小渡さんはなぜか沈黙の中で、組踊保存会や舞踊界とも距離を置いているが、氏は何かを察したのか悟ったのか、興味深い。国立劇場おきなわのソフトも充実してきているように見えるが、ソフトパワーも芸大との接点が強くなっている。それも必然かもしれないが、芸大が沖縄の芸能エリートのステイタスになり、その他の人材が阻害されないシステムも必要なのだろう。組踊研修生たちの活躍も目だってきた。彼らが自主公演でもメインになっているが、それが国立劇場の狙いだったとすると成功している現在だろうか?

ただ国立劇場おきなわ=組踊劇場ではない。しかしそこに特化された研修制度を含め、沖縄芸能の中軸の枠組ができている。それに対抗するエネルギー(創造の場)はどこに?すべてそこへ収斂されていくのだろうか?琉球舞踊界はどうだろうか?昨今は家元から愛弟子へのバトンが露骨で、それぞれの利害の保身が見え隠れしている。もっともしのぎを削る(競争)はいいのかもしれない。ただ恵まれたシステムの恩恵を受ける層と阻害される層があるのは、気になる。

ソフト文化パワーの植民地構造もありえる。どこでも誰が組長か、により文化政策の方向性が決まってくるように、絶えず対話なり論議と、公平な志向性が問われるのだろう。資金力の格差がまた舞台にも出てくる。それは舞台衣装の着物一つとっても見えてくる。



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