(琉球新報:1月19日、24年、伊佐尚記さんのリビューです!)
さすが芸能担当記者として実演家からの信頼が深かった伊佐さんの記事です。現在は文化部記者として360度の視野から文化を相対化しているのですね。
この真喜志康忠13回忌、生誕100年イベントの写真はたくさんあります。後ほどご紹介したいと思います。千枝先生のお話しは身近で舞台に立った実演家ならではのお話しで、細かいエピソードを多く秘めています。それは文章にまとめていただきます。
「落城」(一名真鍋樽)の生誕100年記念公演は、沖縄芝居実験劇場が10年ぶりに舞台化に挑みます。成功させたい上演です。
先日、劇団うびらじの演出家で元OTVのディレクターだった松門正秀さんとお話しした時、大宜見小太郎さんの奥様の静子さんも「落城」はいいお芝居だね、と話していたとの事でした。実際にご覧になった方々の記憶が鮮やかな内に再演し、映像に残したいというのが、重要な目的です。
真喜志康忠氏の奥様の八重子さんも主役で演じていました。また八重子さんの後に、玉城政子さんも主役で演じています。しかしこの舞台は男性陣がほとんどです。舞台美術が当時としては斬新だったと紙面で詳しく取り上げられていますね。
できれば康忠芸で評判だった「伊江島ハンド―小」や「世替りや世替りや」などのお芝居の映像を前半で観てもらって、そして鼎談なども企画する予定です。できれば、お孫さんのCoccoさんが祖父を語るで、劇場までかけつけてくださったら、と念じています。多忙な日々かとは思うのですが、一縷の望み「a ray of hope」 はずっと抱いておきます。
「落城」についてはすでに小論を書いており、また去年沖縄外国文学会でも研究発表しました。50年代のときわ座時代に真喜志康忠さんは、常に新しい沖縄芝居の創作に一座の命運をかけて走っていたことが分かります。
西洋の名作映画をご覧になり、多くの書籍に目を通しながら、沖縄芝居の底上げに懸命に取り組んできたことが分かります。凄い方です。
組踊の立役としても評価が高い実演家で、矢野輝雄さんなどは東京の国立劇場で組踊をご覧になって、康忠芸を評価した方でしたね。地元では、宜保栄治郎さんたちと喧嘩しながら、ご自分の信念を通していた方でした。
劇団創造の舞台は60年代から観劇していたのも事実で、その頃から幸喜良秀演出家とは面識を持っています。
東京では唯一、組踊の唱えで声が通っていたのが、康忠氏だったとか
~。組踊保存会のゆかりある方々との座談会も持つ予定です。