
(美しい若き頃の上間郁子さん踊り「上間郁子雑踊りを踊る」のパンフの中から)
どなたも話していないこと、それは男性の芸能研究者がことばに出さない事ーーそれは歌詞を見たらどうしても自由に動き回ることが可能な美しい女性の姿は殿内の士族の女性ではありえないことです。連れがいない状態で旅する女たちがいました。分ジュリの中でも美妓の女性たちは在番の現地妻になり首里王府にも出這入りしたのでした。彼女たちは恋愛の対象でもありました。イメージの中の女性の踊り、手の振りというより歌詞が表示しているものはどうなのだろうか?すべての女踊りとは言えないが、舞踊家のみなさんが好む女踊り=諸屯、伊野波節は特に美妓の象徴だと思えるのです。歌詞を曲をもう少し検討してみたいと思います。「花風」の登場が決して不思議ではなかったのは、古典女踊りの中にすでに美妓が表象されていたからだと考えています。