志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

博士論文の公開審査はなかなか刺激的!就活もたいへんそうな時代、甘い汁と苦い汁の境界?!

2013-02-04 02:05:56 | 表象文化/表象文化研究会

                             (闇に浮かぶ光・台北)

≪つぶやき≫1

博士号を取得して大学や企業の研究者として生涯生きていくチャンスを与えられる者とその恵まれた機会を得られない者たちの境界は何処にあるのだろう?就職のチャンスがあるか否かは今時は死活問題である。それゆえに保障された恵まれた機関で教育や研究を続けることができるチャンスを得るために若者たちは必至である。彼や彼女に幸運の女神がほほ笑むことを念じるばかりである。よく見るとやはり研究現場もコネ社会に見えなくもないので、そこで現況を変えるために大きな社会変動を望む内からの爆発的な衝動が出てくるのも理解できる。「結局君はめぐまれさん、だっただけのことではないの。でも、たいした仕事していないのね」と、いう風に云われると彼は口をポカーンと開いてやがて怒り出した。怒りも皮相的で、ハングリーで生きてきた者の声の切実さはことばになると、真摯に聞こえてくる。内に飢餓感を持たない者たちのことばの希薄さは、やはり晴れやかに見えても、ああこれらのことばは上澄みで終わってしまうものかもしれない、と一瞬思ってしまう。

≪つぶやき≫2

技巧的なことばのシュールさなど、しかしそれも大学院を出た者たちがすべてをわかったふりして書く詩篇そのもので、と云うことばを聞くと、ああそうですか、と頷いてはみても、存在や実存そのもののとてつもないシュールさはたしかにここそこに溢れていて、誰それの顔もお化けのように見えなくもない。ああお化けが歩いていると思うのはその存在そのもののいたりつく永遠の死の影と捉えるとそれもまた実像ということになるかもしれないからだ。それにしても問題は二つの課題をどうまとめるかだった。8万語から9万語も博論の仕上げをするエネルギーの大変さを思う時、日本語で書かざるをえない外国人学生の大変さに拍手を送りたくなる。逆に英語で論文(博論)を書くのもたいへんなのだと言える。

≪つぶやき≫3

論理的に筋道が通っているかどうか、厳しい。まとめる行為は美しい。「太陽も決して平等ではない」とは暗い犯罪ドラマの中の台詞である。親兄弟(環境)の愛に恵まれなかった子供たちが社会の淵にあって、むしり取られていたり、それでもそこから立ちあがっていく姿に打たれるのはなぜか。それは、人は、クライマックスとカタルシスに感動を覚える(情感が刺激される)装置が据え付けられているからなのかもしれない。踏みつけられてもそこから立ちあがる姿に素直に感動を覚えるようなーー。輝くひとみの中にゆらめく命の不安と希望その両者の間にあって人が目指すもの、生きることは食べること、しかし夢を持たないと生きてはいけない。永遠の追求、終わりのない願望・終わりのない希望という名の微笑み、それがすでに形あるものとしてそこにあってもなくても人はひたすら求め続ける。

≪単文に書くと≫

何かを求め続ける魂の彷徨

ひとかけらの朗報に顔が輝く日

今君が最も求めているもの

その中身は何だろう

求めて得られないもの

求めて得られるもの

彼女の叡智の輝きは幸せには見えない

実存と実存が生み出す言葉の論理化

その美醜の差異

彼女の幸せの中身の虚も揺れ揺れて

目白の喜々としたありのままの姿に

心奪われるひととき

歓び

ああ生きている

今日も明日も明後日も

そしてその次の日も

80歳になっても希望を夢を

みている君

≪疑問≫

彼女はインセンスを失った

(彼女=民族)はイノセンスを失った

彼女はレイプされた

沖縄(彼女=民族)はレイプされた

似ているようで違う表現

レイプされた=イノセンスを失った

個人=共同体がレイプされた

個=共同体がイノセンスを失った

    ここで問題になるのはWhat is innocence? What is rape?

 

 

 

 

 

 


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