一人の男性のことばに感銘を受けた。黙々と海岸沿いの公園の海岸端や草木の中、また駐車場で缶クズなどのゴミを拾う男性のことばにハットさせられた。
2週間ぶりに小太鼓を持って海外沿いのベンチで歌の練習をした。潮風が心地よい。首に注射をうったのは昨日で、朝には大きな痛みが引いたので、痛み止めを飲み、首に湿布を貼って出かけた。
久しぶりの公園の駐車場は施錠もされていなくて、車も少なかった。いつもの場所も空いており、冷たい水を飲みながら穏やかな海の佇まいに心も幾分晴れやかになった。しかしベンチの周りはゴミが転がっている。それを袋に入れようとしたつれの女性によく散歩にきているのらしい初老の男性は「さんてぃ、すむさ、かたじきるイキガがうるむん」と話した。「ありや猫に餌やったりして、迷惑どー」とも語った。
しばらく太鼓を叩きながら歌を歌っていると、その話に登場した男性がやってきて黙々とゴミ袋に空き缶や弁当箱の殻などを入れていく。頭にタオルを巻き、マスクをし、雨靴を履いている。小高い木々の茂みにも入って行き、そこに投げ捨てられているペットボトルや空き缶も拾ってくる。
手際よく作業をするその男性を何度か見かけている。台風の前にきた時も彼は風雨に打たれながら拾っていた。
今日、思わず「ありがとうございます。ごくろうさまです」と声をかけ、お話することになった。
「うれー観光客がするんでしょう」と言うつれの女性に対して、「地元の人たちですよ。日頃、何かと会社や社会からいじめられている人達が、ここに来て、逆に物言わない自然にDVしているんですよね」と返答が返ってきて驚いた。ハットさせられた。「この草や木が訴えてくるんですよ。大地には魂があるから~」とも。ますますその男性の生の声に惹きつけられた。「捨て猫も人間がDVした結果ですよね」とも~。動物愛護協会に連絡したり、矯正をお願いしたり、子猫を譲ったりもしているとも話した。管理事務所と一般の公園を使用をする人々の板挟みになりながら必死に大地、自然へのDVを守ろうとしている方だったのだ。お話が哲学的に思えてきた。「こう他の地域も含めて3年ほど仕事の合間にやっているが、おれも最近は体力がきつくなってきて」と身体がきつくなったことを2、3度繰返した。
「みなさんがこうしてこのベンチで楽しむのはいいね。みんなが幸せが気分になれたら最高ですよ。でもでこうしてこの公園をいじめる人たちがいるのでね。なんとか分かってほしいと思って、一人で行動しているんです」とのことばに、実際に身体で動いて自然の声を聞いている者の壮厳さが伝わってきた。
「志ある方々に呼びかけて協力してもらったらいいのでは?」と話したのだが、独特な指針(考え)をもっている方のようだった。せっかくだからと、練習中の歌を太鼓と一緒に歌った。2度、3度と~。氏は波が押し寄せる海岸端までも足を向けていた。集めたチリを更に分別して持ち帰っていった。
自然へのDVという生の言葉に驚いた夕暮れだった。辺野古などは最大の自然へのDVが国家政策としてなされていることになる。
しかし、潮風が心地よい海岸端の公園に来て飲み食いし、その残骸を草木の茂みの中や周りに捨てて平気なウチナーンチュが多いのである。
毎日のように汚され、DVを受けている公園なのだ!ちょっとどころか、ゾッとする日常の闘いが繰り広げられていた。
しかしこのように一人で賢明に大地の声に向きあっている男性に対して非難じみた声をあげるウチナーンチュもまたいることにも驚いた。捨て猫は確かに人間のDVでその猫たちの面倒をみる心根を否定できない。
ありがとう。お名前を教えてくれなかったが、またお会いしましょう。
2週間ぶりに小太鼓を持って海外沿いのベンチで歌の練習をした。潮風が心地よい。首に注射をうったのは昨日で、朝には大きな痛みが引いたので、痛み止めを飲み、首に湿布を貼って出かけた。
久しぶりの公園の駐車場は施錠もされていなくて、車も少なかった。いつもの場所も空いており、冷たい水を飲みながら穏やかな海の佇まいに心も幾分晴れやかになった。しかしベンチの周りはゴミが転がっている。それを袋に入れようとしたつれの女性によく散歩にきているのらしい初老の男性は「さんてぃ、すむさ、かたじきるイキガがうるむん」と話した。「ありや猫に餌やったりして、迷惑どー」とも語った。
しばらく太鼓を叩きながら歌を歌っていると、その話に登場した男性がやってきて黙々とゴミ袋に空き缶や弁当箱の殻などを入れていく。頭にタオルを巻き、マスクをし、雨靴を履いている。小高い木々の茂みにも入って行き、そこに投げ捨てられているペットボトルや空き缶も拾ってくる。
手際よく作業をするその男性を何度か見かけている。台風の前にきた時も彼は風雨に打たれながら拾っていた。
今日、思わず「ありがとうございます。ごくろうさまです」と声をかけ、お話することになった。
「うれー観光客がするんでしょう」と言うつれの女性に対して、「地元の人たちですよ。日頃、何かと会社や社会からいじめられている人達が、ここに来て、逆に物言わない自然にDVしているんですよね」と返答が返ってきて驚いた。ハットさせられた。「この草や木が訴えてくるんですよ。大地には魂があるから~」とも。ますますその男性の生の声に惹きつけられた。「捨て猫も人間がDVした結果ですよね」とも~。動物愛護協会に連絡したり、矯正をお願いしたり、子猫を譲ったりもしているとも話した。管理事務所と一般の公園を使用をする人々の板挟みになりながら必死に大地、自然へのDVを守ろうとしている方だったのだ。お話が哲学的に思えてきた。「こう他の地域も含めて3年ほど仕事の合間にやっているが、おれも最近は体力がきつくなってきて」と身体がきつくなったことを2、3度繰返した。
「みなさんがこうしてこのベンチで楽しむのはいいね。みんなが幸せが気分になれたら最高ですよ。でもでこうしてこの公園をいじめる人たちがいるのでね。なんとか分かってほしいと思って、一人で行動しているんです」とのことばに、実際に身体で動いて自然の声を聞いている者の壮厳さが伝わってきた。
「志ある方々に呼びかけて協力してもらったらいいのでは?」と話したのだが、独特な指針(考え)をもっている方のようだった。せっかくだからと、練習中の歌を太鼓と一緒に歌った。2度、3度と~。氏は波が押し寄せる海岸端までも足を向けていた。集めたチリを更に分別して持ち帰っていった。
自然へのDVという生の言葉に驚いた夕暮れだった。辺野古などは最大の自然へのDVが国家政策としてなされていることになる。
しかし、潮風が心地よい海岸端の公園に来て飲み食いし、その残骸を草木の茂みの中や周りに捨てて平気なウチナーンチュが多いのである。
毎日のように汚され、DVを受けている公園なのだ!ちょっとどころか、ゾッとする日常の闘いが繰り広げられていた。
しかしこのように一人で賢明に大地の声に向きあっている男性に対して非難じみた声をあげるウチナーンチュもまたいることにも驚いた。捨て猫は確かに人間のDVでその猫たちの面倒をみる心根を否定できない。
ありがとう。お名前を教えてくれなかったが、またお会いしましょう。