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(琉球新報、2014年4月12日)
佐藤 優さんの「ウチナー評論」から中央の思考が読み取れるのはいいが、佐藤さんが沖縄の潮流を要約した論考をまたその中に網羅しているのだが、その中で同意できるところと違和感も起こる。先日の沖縄タイムスと琉球新報のウチナーグチの表記が異なる、などの論考は、沖縄語(方言)研究者によると、まったく妥当ではないという。つまり個々人の表現に違いがあり、新聞社間の差異ではありえない、という事である。ウチナーグチの表記は統一されていないので、個々人の判断で漢字かな交り文でも微妙な差異が出てくるのは当然で、ローマ字表記の可能性は賛成だが、そのローマ字でも表記できない微妙な音韻をさて、どうするかの問題もあり、それはまたローマ字をうまく変形した表記が追記(造語)される可能性も残している。漢字かな交りにローマ字併記、+独自の音韻表記が伴ってくるのかもしれない。
上記の「言語普及運動が示す低力」は、それが琉球・沖縄独自の意志決定権への政治的運動と重なっていく傾向はあり、それはそれで好ましいと考えている。民族形成過程が進んでいる沖縄の客観的評価も、うなずける。意識していなかったにもかかわらず、無意識レヴェルで、民族としての文化意識の共有(感)が進んでいるのもその通りだと考える。琉歌は決して日本語ではない。歌・三線は日本語では歌えない。日本語に翻訳され歌えないこともないが、原則は8886のリズムである。組踊が現代語で台詞が成り立っていても大城立裕氏の実験では日本語でも8886にのせられることが実証されている。リズムの持つ民族性の大きさがそこからせり出される。
それと最近養豚と沖縄文化に目を向けると、琉球・沖縄文化の中国の影響の大きさがまた表にでてくる。沖縄県は中央日本のスタンスとは別にドンドン台湾や中国との親密な交流を続けた方がいい。ただそこで防衛のチカラが増してくると、民間の友好関係が挫かれていく。平和な琉球弧が要塞としての琉球弧になって久しいのも事実だ。バランス感覚が試され続けるのだろうか?日米安保圏内にあってかつ近隣諸国や地域と友好関係、共生共存共栄ををはかっていく関係性の構築←常に問われている。しかし日米安保のしわ寄せを受け続ける沖縄の過剰負担=軍事要塞化=軍事植民地状態は変わらない。
*民族芸能も民俗芸能もあるのは確かだね。その境界?