
どうもネオナチ的な様相なのか、実際に彼らのデモなどは映像で見るだけだが、たいへんそうだ!これも時代への逆行現象だがナショナリズムがマジョリティーの中で特異な形で固まると、異様に見えるが、それを無意識にサイレントマンジョリティが黙殺する気配も感じられる。それが第三帝国を増長させたとする小説も戯曲もすでに書かれている。日本では著名な作家(?)・知事が戦争をあおり、右傾化する時代である。彼らはその表層をまた舐めているのかもしれない。無意識の差別化と疎外化の中で痛む心がある。人間機会平等で人権は同じように保護されているのではないのだろうか?疑問は膨らむ。差別化=奴隷化がまかりとおるシステムの到来で人の悪意がむき出しになるのだろうか?
戦争という名の平和な生存競争が極端なかたちで残酷な大量殺人(虐殺)を起こしてきた反省を経ての現在のはずだが、爆発寸前の狂気を内に秘めて人間社会は推移しているのだろうか?バランスは内外で試されている。共存共生とは言いやすいが、実際は不均衡=差別的システムで世界は動いている。おかしい矛盾が吹き出る社会、この世界のバランスが不思議だが、各地で吹き荒れている嵐と凪の差異はどうしてそうなるのだろうか?経済の仕組みの不思議さとやはり人間の欲望の体系と絶え間無い追求が織り成す大きな布のような地球なのかどうか、ー謎と真実、その綾の中で生きる。んん、希望の☆?
人は必ず老いて死ぬという宿命を生きている。多様な地域、国、共同体、世界機構など、それぞれが生き生かされているのだが、それぞれのコミュニティーの中で存分に命を燃焼させて消える。その繰り返しで類として継承されていく生命体としての共同体がある。
この記事の在特会についてはウィキピディアでもかなり詳しく紹介されている。論文も紹介されていた。2チャンネルとの関係性などなど、なぜ排外主義が強烈な色を見せるのか、時代の陥穽、隙間を埋めることができない、柔軟性のないギチギチした社会のありよう、なのかもしれない。サイレントマジョリティの無視が怖い。少なくともツイターで見る限り問題視する理知的なことばが飛び交っている。彼らがなぜそのように徒党を組んで行動するようになったのか、その背景に迫ってほしい。