志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

小説は世界を解すことなのさ、観念がほぐれないから文章に色艶がないんだよ!そうですか?

2011-09-27 14:44:10 | グローカルな文化現象
堅い石や岩の上を歩くようなことばでは人は感動なんかしないんだよ。しかし琉球弧の命を抱えているんだねあの女は、とXXさんが言うのを聞く。

もはや人間の知識でこの世が変わる時代ではなくなった。思想でも世の中は変わりはしない。むなしさだけが残ると語ることばを聞くと、そこには絶望・諦観がしみてくる。中学生にでも読めてわかるやさしい文章を書けるか、と問われる。もはや小林秀雄や亀井勝一郎や自殺した江藤淳のようないい評論(『成熟と喪失』はロンドンの書店で購入して読んだ。氏のこの母性論は今でも強烈なインパクトを与えている)なり批評を書ける人間もいなくなったからなー、現代の小説など読むに値しないよ。村上春樹の小説が中国でも韓国でも大人気らしいが、何かあるんだね。おそらく神の不在を書いているはずなんだよなー。神の不在!砂漠の中で森を書かざるをえない。森もまた枯渇しているのかどうか、環境文学なんかと区分けする必要があるのかどうか、文学は文学だよね。文学の中に人類の総体が封印されていると思うのだけれどーー。昨今は映像があるからなー、メディアアートも含め、映像が時代の先端か?映像がしかし文学を超えられない世界もある。映像が演劇を超えられないところもある。初源の形をどこにもとめるか、古代ギリシャであり、インドでありそして決してアメリカではないね。西欧の奥ゆかしさの方がまだ身近に感じられるね。アメリカインディアンの世界に内在する世界観に今を凌駕するものが秘められているのかもしれない。一方でニュートリノは光より速いのか - 相対性理論を覆す可能性をCERNが提示、相対性理論の捉え返しも始まるのらしい。自然科学も宇宙科学も書き換えが成されていく。ひねもす新しい発見による公式・定理・数式が覆されていく。それはすごいことね。社会科学も人文科学も書き換えがなされていく。歴史学も同じだね。新しい解釈なり理論のフレームが創られる。それはそれでそのフレームをどう生み出すかで頭脳が燃えている。それもいい。実証、解釈、理論の構築。そこからどう新しい知見が拓かれていくかだけれども?

アメリカ的なものに表象的な軽さを見るのはなぜだろう?しかし現在の先端の現象のすべてがそこに溢れているのも確かに思える。軽くないのは先住民族の葛藤の歴史に見えてくるものかもしれないね。メキシコやラテンアメリカの歴史の奥に秘められて在るもの、そこに何か可能性のようなものがありえるのかもしれない。世界の矛盾がアメリカに溢れかえっていると見た方がいいのかもしれない。そしてアメリカがこの島の主のように島を蹂躙している現実があり、嫌でも結びついているというのが現実ーー。やれやれ!その末端でハワイや沖縄は自己主張をしているという構図なのかどうか、それにしてもやはり声をあげているのは誰?声が聞こえない者たちがここそこに大勢!

声を形にするエネルギーの循環?!かなたとこなたを結びつける。そことあそこを結びつける。

<自動車道を突っ走る朝、那覇に戻る道すがら>


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